パパママ おねがいゆるして
哀れ 5歳の命が消えた
もうパパとママにいわれなくてもしっかりとじぶんからきょうよりもっともっとあしたはできるようにするから
もうおねがい
ゆるして
ゆるしてください
おねがいします
ほんとうにもうおなじことはしません
ゆるして
きのうぜんぜんできなかったこと
これまでまいにちやってきたことをなおします
これまでどれだけあほみたいにあそんでいたことか
あそぶってあほみたいなことやめるので
もうぜったいぜったいやらないからね
ぜったいぜったいやくそくします
(警視庁発表 結愛ちゃんが書いたノートの一部・朝日新聞6/7記事より)
下書きしたまま躊躇して、アップすることができませんでした。
上記のノートが発表されたのは6月7日の朝日新聞でした
(というよりも、全国紙の多くがこのノートの記事を掲載していました。)。
みーはーのワイドショーでも取り上げられましたが、
多くは「結愛」ちゃんへの同情で、
小さな命が理不尽な虐待で喪われたことへの憤りに終始していました。
なぜ虐待死を許してしまったのか。
その原因を探るような報道は少なかった。
ありきたりな同情論で終わらせてしまうようなコメンテーターに言いたい。
聞いたようなことを言って人の不幸を飯の種にするなと。
移り気で、飽きっぽいマスコミは、報道から10日そこそこで紙面や画面に登場させることを忘れてしまう。
「のど元過ぎれば熱さ忘れる」の例えのように、薄っぺらな表面を上滑りするような記事でお茶を濁してしまう。
5歳の女の子にとって誰一人頼る人のいない環境の中で、
必死になって許しを乞う姿が浮かんできて、いたたまれなくなりました。
結愛ちゃんは、室内灯のない部屋で寝起きをし、
父親から毎日朝の4時に起きてひらがなの練習を強要されていた(朝日新聞6/10)。
他の家族三人が食事などで出かけるときも、暖房の切られた部屋に一人取り残されていたという。
その結果、3月2日 肺炎による敗血症で小さな命の灯は消えてしまいました。
つづく
(2018.6.20記) (児童虐待№4)
※ 次回は「虐待死 強要されたごめんなさい」をアップします。