白旗の少女・「幸せと簡単にいえない」
白旗を掲げ投降する少女・比嘉富子さん(77)の証言
あまりにも有名な写真だ。木の枝に、老夫婦が褌(ふんどし)を裂いて巻きつけた旗を掲げて投降する。当時、6、7歳のあどけない少女の決死の投降場面だ。兄の遺体を埋め、姉たちとははぐれてしまった。死体だらけの川の水を飲みながら生き延びた少女。
「地獄に行ったことはないけど、ああでしょうね」
地獄をくぐり抜けて生き延びた比嘉さんの脳裏には、今も鮮明に当時の記憶がよみがえるのでしょう。
「あの人もこの人も死んで、なぜ私は生きているのか。幸せだとは簡単にいえない。半分罪の意識があります」
70年も昔の少女時代の過酷な体験は、「生き残った」事に対する悔恨が
いまだにわきあがってくるのでしょう。
生き残ったことに、今こうして生きていることに、心の痛みを感じるという。
いわゆる「死に遅れ」た事に対する、悔恨や罪の意識は、戦後多くの仲間を失った兵士たちに
共通の意識だったのでしょう。
「命は自分のためにだけあるんじゃない。産んでくれたお父さんやお母さんのものでもある」
洞窟で投降を勧めた、老人の言葉は、
比嘉さんが生きるための心の支えとして、今も鮮明に浮かんでくるのでしょう。
(朝日新聞2015.7.31付夕刊 継ぐ記憶 私たちに戦争を教えてください②の記事を参考にしました)
さて、2枚目の写真を見てください。「白旗の少女」が斜面を下りて来るシーンです。
背景に注目してください。少女の後ろから2人の兵隊がついてきます。「少女を盾にする卑怯な兵隊」と言われ発表された当時
物議をかもしたようです。
しかし、写真をよく見ると、2人の後に斜面を登っていく二人の荷物を背負った人の後ろ姿が見えます。
この人も兵隊に見えますが、この二人を見る限り、緊迫した場面ではなさそうです。
さらにその後ろ、3人の人がみえます。どうも負傷した人を両脇の二人が、肩掛けして斜面を下りて来るようです。
やはり、少女を盾にして投降するような緊迫した場面には見えません。
さて、真相はどうなのでしょう
(2015.8.5記) (つづく)
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