雨あがりのペイブメント

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「あゝ岸壁の母」②母はノートに胸の内を綴った

2024-11-12 22:55:01 | 語り継ぐ戦争の証言

「あゝ岸壁の母」②母はノートに胸の内を綴った

前回の要点
  〇 歌謡曲「岸壁の母」 
     息子の帰還を舞鶴港で待ちわびる端野いせがモデル。
    昭和29年菊池章子が歌い、昭和47年には二葉百合子が歌い、
    いずれも大ヒットをした。
    特に後者の歌はセリフ入りで、300枚の大ヒットとなる。
    二葉百合子はモデルとなった端野いせにも何度もあって、
    その臨終にも立ち会った。
    戦争の悲劇である未帰還兵の帰りを待つ母の愛情が、
    戦後27年を経てなお、人々の感情を掻き立てたのでしょう。
  〇 京都府舞鶴港への引揚船  
     終戦直後の昭和20年10月7日、
    朝鮮釜山から陸軍・軍人を乗せた雲仙丸の入港を皮切りに、
    昭和33年9月サハリン(樺太)のホルムスク (真岡)から472人を乗せた白山丸の入港まで、
    13年間続いた。
     
その13年間で、66万2982人の引揚者と1万6269柱の遺骨が京都府舞鶴市平引揚桟橋
    に祖国への第一歩を記した。

  〇 舞鶴港桟橋の由緒書き 
    『幾多の苦難に耐え、夢に見た祖国へ感激の第一歩をしるした桟橋。
    桟橋の脇に佇み我が子、夫を待ち続けた多数の「岸壁の母・妻」。
    そして温かく迎えた往時の市民の姿。この史実を21世紀へと伝えるため、
    歴史の語り部として(この桟橋を)復元した』
とある。
      〇 岸壁の母のモデルになった【端野いせ】
    
引揚船が舞鶴港に着くたびに、いせは岸壁に立ち、
   帰らぬ息子・新二の名を呼び、桟橋に立ち続けた。

 

歌謡曲岸壁の母二番 (作詞 藤田まさと)
 呼んで下さい おがみます
 ああ おっ母さんよく来たと
 海山千里と言うけれど
 なんで遠かろ なんで遠かろ
 母と子に

  (セリフ)
  「あの子は今頃どうしているでしょう。
  雪と風のシベリアは寒かろう……
  つらかっただろうと命の限り抱きしめて……
  温めてやりたい……。」
                                                               (二葉百合子が歌う絶唱「岸壁の母」)

母の思いは届かなかった
  
(端野いせ)

 針仕事で生活を支えていた端野いせにとって、
住まいの東京から京都の舞鶴までの距離は遠く経済的にも苦しく、
体にも負担だったに違いない。
 それまで、東京大田区に住むいせは復員列車の着く品川駅に日参し、
復員者に新二の消息を尋ねたが、情報は入らない。
 焦燥感に背中を押されるようにして、
いせが舞鶴港に出向いたのは、
昭和25年1月だった。
 「新二は居ませんか。新二、新二」と引揚者の列に声をかけたが、
いせの声は、引揚者と迎えに来た大勢の人の雑踏の中に、
空しく消えていった。 
 昭和29年3月20日、端野(はしの)いせは再び桟橋に立ち涙ながらに「新二を知りませんか」と幾度も我が子の名を呼んだ。
敗戦から9年の時間が流れようとしているのに、
端野いせにはまだ戦争は終わっていなかった。
「新二よ、どこにいるのか。
生きてはおらぬのか。
『母さん』と呼んでもらえないのか」
と母はノートに記す。
「金があったらここに小屋を建てて待っていたい。
いま少し待つのだと自分の心に言い聞かせ、涙を拭いた」
「新二なぜこのように泣かせるのだ。
あきらめようと思うが命をかけて育てた子です。
生きていると信じるのです。
けれど待つことのこの辛さ。
この苦しみから早く逃れたい」。
 ノートに記された無念の言葉だった。

 同年9月。厚生省から新二の死亡認定理由書を受け取る。
《昭和20年8月15日未明、前方約300㍍の地点付近より突然ロ軍の射撃を受けたので、ただちに分散してこれに応戦したが数多いロ軍の一斉攻撃によって戦友は次々と倒れ、本人は最後まで抵抗していたが、ついに力尽きて「お母さんによろしく」と言い残して倒れたのを目撃した》。
理由書に添えられた戦友の証言である。

 また、31年9月には次のような新二の死亡通知書が東京都知事、
安井誠一郎の名でいせに届いた。
《昭和20年8月15日中華民国牡丹江省磨刀石陣地で戦死されましたのでお知らせします》
 しかし、いせは昭和56年7月に81歳で亡くなる最期まで、
新二の生存を信じていた。
                         (つづく)
(語り継ぐ戦争の証言№40)                (2024.11.11記) 

 

 

 

 

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