朔之助、田鶴、新蔵ら3人の幼い日のエピソードなどが、
回想シーンとして描かれ、映画のタイトル「小川の辺」のキーワードとなっていることに気づかされる。
小川の辺は幼き日の朔之助と田鶴、そして若党の新蔵が遊んだ思い出の場所であり、
身分を超えて過ごした楽しい場所として描かれている。
佐久間森衛とその妻田鶴が脱藩者として隠れ住む場所も、小さな丸木橋を渡った川の辺にあり、
二人がつつましく暮らすには静かで、ひっそりとした景色の中に溶け込んでいるような場所である。
この隠れ家に、朔之助と新蔵は討手として乗り込んでいく。
剣の盟友・森衛との関係や妹・田鶴との兄妹の関係を、「義」のために断つこともいとわず、
朔之助は丸木橋を渡り、森衛と対決する。
小川の辺のイメージは、「情」の世界であり、
その「情」の世界を断ち切って、橋を渡り、「義」を押し通す朔之助。
「義」と「情」の世界が対照的に見事に描かれている。
『斬りあいは長かったが、朔之助はついに佐久間を倒した…』と、
映画では大きな盛り上がりの場面であるが、原作ではあっけないほど簡単に述べられる。
留守にしていた田鶴が帰ってきた。
田鶴は予想した通り、白刃をふるって、兄・佐久間に挑んでくる。
「…佐久間は尋常に戦って死んだのだ。女子供が手出しすべきことではない」
(つづく)
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