名も無き花…椿さんへ (つれづれに…心もよう№33)
一切の俗事を離れ、
名も無き花のようにひっそり咲けたらいいと、
心の内では思うのだが、
心のうちで思うことと、現実はなかなか一致しないから、
時々そんな自分に愛想を尽かしたり、
一途な思いを諦めたりしてしまう。
自分に愛想を尽かしながらも、人は生きていかなければならない。
想いと現実のはざまで、
揺れ動き悩む自分に気づかずに一生を終わってしまう人生もあります。
感受性豊かに、
時に傷つき、
時に挫折し、
そんな自分に愛想をつかしてしまうことだってたくさんあります。
木の芽が芽吹いて、
木陰や落ち葉の間から春を待っていた花を発見し、
心が躍る感受性はとても素晴らしいことです。
誰にも期待されないで、人知れずひっそりと咲く。
期待されなくてもいい、
光を浴びたいと思うこともなく、
ひたすら開花の時を待っている。
このことをさびしいと思うのか、
いのちのかがやきと捉えるのか、
人それぞれが持っているポリシーで感じることが出来たらいいのかもしれません。
私は、輝きと捉え、「孤高の花」として思い入れを強くします。
「ひたむき」な姿をさらし、
「孤高の花」は、目に触れた人の心を捉えて離さない。
すこしありきたりになってしまいますが、
「しのぶ」というイメージも捨てがたいものがあると思います。
「ひたむき」に「偲ぶ」花、「孤高の花」。
侵しがたい、触れてはいけない清廉なイメージが湧いてきます。
(2016.4.19記)
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