石巻市・大川小学校を襲った津波の悲劇(2)
想定外の津波だったのか
新北上大橋近辺も、電柱や街灯がなぎ倒された。
小学校の上流でも家は水没し、近くの郵便局も駐在所も濁流に呑まれ、跡形もない。
校舎に残る時計は、いずれも3時37分を指し、時を忘れたように止まっている。
おそらくこの時間が大川小学校を津波が襲った時間なのだろう。
このことは、地震発生から津波到達まで40~50分の時間があったということを示している。
何故迅速に避難誘導できなかったのか。
「いかに迅速に避難誘導させるか」という大原則を忘れ、
第二避難所の選定に時間を取られた結果が、悲劇を生んだのではないか。
危機管理の基本は第一避難所、第二避難所の場所の設定を、
避難マニュアルに盛り込んでおかなければならないが、
具体的なマニュアルは作成されていなかった。
市の防災マニュアルは、津波対策を「高台に登る」とだけ記され、
具体的な避難場所の選択は、各校に委ねられていたようである。
当時の市の「防災ガイド・ハザードマップ」には、
大川小学校のある釜谷地区は過去に津波が到達した記録がなく、
津波到達を想定できず、大川小学校を避難場所として「利用可」としていたから、
住民は大川小学校をいざという時の避難場所として認識していたようである。
さらに、山と堤防にさえぎられ、津波の動向が把握できなかったことも、
避難を遅らせた要因と思われる。
「防災ガイド・ハザードマップ」の不備も悲劇を生んだ原因の一つであるが、
危機意識に欠け、児童たちの安全誘導を重視したために、
二次避難が遅れたのではないかと私は思う。
石巻市によると、北上川周辺で死亡・行方不明になった人は、推計で左岸約300人、
右岸(大川小学校側)約380人。
河口周辺の右岸には海からも津波が押し寄せ、
指定避難場所だった「市北上総合支所」と「大川小学校」も濁流に飲み込まれた。
(つづく)
(参考資料:朝日新聞 読売新聞 毎日新聞 河北新報)
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