読書案内「おかあさんの木」
大川悦生著 戦争と平和のものがたり 第2巻収録 ポプラ社2015.3第一刷
発表から45年余りたった今、戦後70年を迎え「おかあさんの木」がブレイクしている。
作者は98年没。良い作品は時を経て、時代を超えていつまでも輝き、読む人の心を捉える。
昭和12 (1937) 年、日中戦争が勃発、戦火は瞬く間に世界に広がり、太平洋戦争に発展した。
この暗い時代に生きた「母」の物語を、民話形式で語っていく。
7人の息子たちは次々に兵隊にとられ、
「母」の切ない思いは、出征のたびに息子たちの無事を祈り、桐の木を植えていきます。
桐の木はそれぞれに息子たちの名前が付けられました。
一郎、二郎、三郎……。毎朝、息子たちの木に向かって「母」は、
お前たちも「戦地でげんきかいな、ひきょぅなまねはせんと、おくにのために、てがらをたてておくれや」
と祈る毎日だった。
一郎の遺骨が帰ってきた。
「おやくにたててうれしゅうございます」気丈な母は、人前で涙ひとつこぼさんかったそうです。
一人になった「母」は一郎の木に取りすがり
「さぞつらかっただろうね。……死にたくなかったろうね」と泣いたそうな。
以来、桐の木に話しかける「母」の言葉がすっかり変わったそうな。
「一郎にいさんみたいに死んだらいけん。てがらなんてたてんでもいい。…生きて帰っておくれや」
「戦争で死なせるために、おまえたちをうんだのではないぞえ。いっしょうけんめい大きくしたのではないぞえ」
8年もの長い戦争が終わり、大勢の人が死んだ。
二郎は南の島で、三郎は船と一緒に海の底に、四郎はガタルカナルで、戦死。
五郎はビルマのジャングルで行方知れず、六郎は沖縄で、七郎は特攻で死んだという。
それでも「母」は、
「ひとりでいいに、……どうぞかえしてくだされや」と桐の木に向かって祈り、帰りを待った。
秋が過ぎて、戦争に負けた年の寒い冬が来ても、誰も帰っては来なかった。
七本の桐の木は見上げるほどに大きくなり、その分「母」は年を取った。
やがて、うれしい結末と、悲しい結末が用意され、物語は終わります。
評価☆☆☆☆☆ 同タイトルでポプラ社から文庫本も出ています。一読をお勧めします。
次回は映画「おかあさんの木」について述べます。 (2015.6.11記)
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