優しさを残して
雨が降れば、田植えの終わった田んぼで、成長期を迎えた早苗たちが、水面(みなも)を渡る風に揺らいで、そよそよとささやく。
朝顔のつるも元気よく支柱に絡まり、天を目指して這い上がる。
梅雨を目前にして、早咲きの紫陽花が咲き始めている。
幕末の出島のオランダ商館付の医師シーボルトは愛妾「お滝」の名にちなんで「オタクサ」と命名したと言われています。
当時ご禁制だった日本の地図を持ち出そうとし、幕府に発覚、国外に追放になったシーボルトは紫陽花を、
優しく可憐な花として「お滝」のイメージにダブらせたのでしょう。
紫陽花の花に隠れてかたつむり
14歳で早世した翔太郎の残した句です。
あの日、眠るように横たわる物言わぬ翔太郎の枕辺に飾られた短冊が、今でも鮮やかによみがえってきます。
どこの紫陽花を詠んだのか誰にもわからないが、心だけは伝わってきます。
思わず頬を摺り寄せるようにして顔を近づける。
ふんわりとした花が、少し冷たく、湿り気を含んで、頬に触れ、かたつむりが花陰に隠れるようにして這っている姿をとらえる。
ひっそりと息づいているかたつむりに想いを馳せる。
誰にでも優しかった君の感性は、かたつむりの静かな息遣いを見逃さなかった。
将来の夢を問われ「旅人になりたい」と私に答えた、あの眼鏡の奥のはにかむ様な小さな目がかすかに笑っていた。
その目がかたつむりの「命」をとらえたのだ。
通学路の途中に、北アルプスの影を映す6月の田圃に、君の生まれ育った安曇野には紫陽花がよく似合う。
たくさんの友達を作り、14歳の命を精一杯に咲かせて、逝ってしまった翔太郎。思い出をありがとう。
君と魚釣りをした勤行川の紫陽花ロードも、もうすぐ花の盛りを迎えるよ。 (翔太郎哀歌 №10) 2015.6.7
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