安田純平氏解放・帰国
内戦下のシリアで拘束され、3年4カ月ぶりに解放されたフリージャーナリストの安田純平さんが、
トルコ航空便で25日午後6時半帰国した。
「拘束中虐待続き心身疲弊」、拘束された3年4カ月は「地獄」だったと報道は安田氏の言葉として伝えている。
「自己責任論」がくすぶり続けているが、「無事に帰国出来て良かった」と、胸をなで下ろすのが多くの人の心情だと思う。
この報道に触れ、数年前に読んだ小説「砂漠の影絵」を思い出した。
読書案内「砂漠の影絵」
石井光太著 光文社刊 2016.12
2004年、イラク・ファルージャ。 |
身代金要求を日本政府に拒否されたテロリストたちは、
要求を拒否するなら人質一人一人を順次処刑することを宣言。
「全員で励まし合いながら、解放されるまで頑張ろう」と、結束を固めた5人だったが
処刑宣言の前に、誰が最初に処刑されるのか。
5人がそれぞれに胸の内を探りながら、自分ではないだろうという希望的観測を抱いていく過程は
読んでいて辛い。
いつ命を絶たれるかわからないような最悪な環境に置かれれば、
人間は弱い存在にもなる。
自分を律し、毅然とすることなど出来はしない。
人質の命を盾に、無抵抗な人間を恐怖に陥れ、命を代価に高額の身代金を要求するテロリストたちが、
自分たちの闘いは聖戦だと主張しても、多くの人は納得しないだろう。
テロ行為そのものが、最も卑劣で、人間の良心を逆撫でするような行為だからだ。
聖戦という大義名分を掲げた殺人行為だからだ。
絶体絶命の窮地に立たされたとき、人間はどんな考え方や、行動を取ろうとするのだろう。
なぜ彼らはテロリストになったのか。その生い立ちを描き、
多面的な登場人物のを描くことによって、物語に真実性と深みを与えている。
二転三転しながら物語はやりきれない結末を迎える。
「砂漠の影絵」というタイトルの意味。
イラクの砂漠地帯で起こっている戦争を実体はあるのだけれど、
影絵のように不確かな存在というイメージ、あるいは実態の見えない影絵のような存在、
混沌として先行きの見えない戦争を意味しているのか。
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