テレビ時代劇の衰退とテレビの行く末
テレビドラマが低視聴に陥って久しい。
時代劇が次々とテレビから姿を消し、
最後に残った時代劇がマンネリズムの極致を行く「水戸黄門」だった。
越後のちりめん問屋の御隠居さんが、悪代官を懲らしめる。
勧善懲悪、庶民の味方と言うテーマ―がドラマの根底を流れていて、
この部分こそ、多くの視聴者を支えていた理由ではないか。
ここぞというところでおなじみの「葵の紋の印籠」が登場する。
平凡すぎる筋運びとパターン化したマンネリズムが、
視聴者を安心させたのだ。
BSでは、再放送ながら長年ファンをとりこにしてきた「鬼平犯科帳」が幕を閉じることになった。
こちらは正統派時代劇で、池波正太郎の同名原作を丁寧に描くところに、
本格とか正統という言葉にふさわしいドラマを作ることができたのだ。
鬼平と密偵の関係に描かれる、信頼関係に結ばれた深い絆。
部下の同心や密偵を束ね、悪に立ち向かう鬼平だが、情には厚い。
好物の軍鶏鍋をつつくときには、身分の垣根を払い、和気あいあいと酒を呑む。
時代背景を忠実にとらえ、現代にも通じる人間ドラマとしたところに、
人気の秘密があったのだろう。
登場人物にも味があり、作品に深みを与えている。
こうした時代劇がテレビから消え、
刑事ドラマが視聴率を稼げば、
各局とも横並びでゴールデンタイムの時間枠に刑事ドラマをぶつけてくる。
過当競争はやがて質の低下を招き、正統派刑事ドラマはやがて
現実にはあり得ないような奇をてらったドラマの登場となる。
お笑い芸人を司会に起用したバラエティー番組や健康志向番組も横並びで
各局は競って制作している。
むかし、それぞれのテレビ局が持っていた使命感やプライドはなくなり、
その日暮らしの番組編成で、質の悪い番組を放映する。
いったいテレビはどんな役割を担って、何処にたどり着くのだろうか。
(つれづれに……心もよう№45)
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