読書案内「氷の轍」桜木紫乃著
2016.10刊初版 小学館
最近テレビ朝日系で放映されたドラマの原作本だが、脚本化された時点で物語は原作を離れ、一人歩きする。
ドラマは原作本のエッセンスである。従って、原作とドラマには大きな隔たりがある。ここでは、原作に沿って案内をします。
舞台は北海道釧路と青森県八戸にまたがる。
まるで北欧のミステリーを読んでいるような臨場感がある。
水平線に鮮やかな朱色の帯が走っていた。
七月の街を覆う海霧のせいで、今日も一日太陽を拝んでいない。
沖に横たわる陽の名残りはひどく遠かった。
冒頭、これから物語の舞台になる釧路の街の描写が読者を惹きつける。
堅物で色気なしの女刑事・大門真由をはじめ登場人物の全てが、辛い人生の轍を踏んで生きている。
彼女は大門家の墓の前に捨てられていた元刑事大門史郎の愛人の子ども、
従って母・希代とは血のつながりがない。
夫が結婚2年目にして外の女に産ませた子を希代は自分の子どもとして育てる。
「誰が生んでも、うちの娘です。
そういう事を今後何かで知ったり耳に入れたりして、
妙な誤解が生まれるのを避けたいの」
希代は聡明で、強い女性だ。
真由は、高校に上がる時にその事実を知らされた。
釧路の海から上がった、身元不明の高齢男性の死体。
生前の被害者の生活の痕跡をたどれば辿るほど、
浮き上がってくるのは男の一人ぼっちの孤独な生活である。
やがてたどり着く一冊の古い北原白秋の詩集に、
この物語に登場する人物の孤独な轍が収斂されてくる。
それはまさに、歩いてきた足跡が凍り付くような寂しい、
孤独感に彩られた「氷の轍」を辿るような人生行路だった。
他ト我 北原白秋
二人デ居タレドマダ淋シ、 一人ニナッタラナホ淋シ、
シンジツ二人ハ遺瀬(ヤルセ)ナシ、
シンジツ一人ハ堪ヘガタシ。
被害者を辿る捜索から浮かび上がってきた人々もまた、
孤独な環境の中に身を置き、
自力で這い上がり、
心安らぐ日常を確保できるようになった。
この人々にどんな過去があったのか。
忘れてきた辛い過去の時間から、
忘れたはずの過去が姿を現したとしたら……。
親も子も姉妹も、
その辛い過去故に名乗り合うこともなく、
その存在すら認めようとしない。
孤独の深淵(しんえん)に沈んでしまった人たちに、善意の行為は届くのだろうか。
被害者を取りまく人たちの、
過去を洗い、
心の葛藤を見て来た刑事・大門真由は犯人逮捕に関わる供述書を作成する。
供述書に書き込まれた無味乾燥な内容に、
被害者、犯人、この事件に関わりを持ったすべての人たちの心の葛藤が、
言葉では表現できないもどかしさを感じる。
真由は思う。
「事実が真実とは限らない」。
供述書と同じように、報道も事件の事実を伝えるが、
生きた人間の心の葛藤を伝えることはできない。
善意が善意として受け止められれば、
人の思いやりとして受け止めることができる。
思い込みの善意は、時として迷惑であり、鬱陶しくもなる。
堪えがたいひとりを生きているものにも明日はある。
明日がある限り、
朝は訪れる。
朝が訪れるたび、
ひとはいつもひとりを思い知る。
そうして、
堪えがたい真実を抱え続けるひとにも、
律儀に次の季節は訪れる。
物語は終わる。
真由は明日の空模様を祈りながら足を早める。
真由の心に忍び寄った孤独を真由は、
どう受け止めるのだろう。
余話:
犯人を追って過去にさかのぼっていく形式は、松本清
張の「砂の器」にもあった。過去に生きた人間の生い
立ちや孤独が浮き彫りになり、物語に奥行をだす。
桜木紫乃の小説に直木賞を受賞した「ホテルローヤル」があるが、
この小説もどこかに、淋しさや孤独の匂いのする小説だ。
評価 ☆☆☆☆/5
(読書紹介№91) (2016.11.16記)
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