日航機墜落事故 37年目の夏 ② 御巣鷹の尾根 昇魂之碑
(図1) (図2)
(図1) 昇魂之碑の前でシャボン玉を飛ばす遺族の皆さん。この碑の前は小さな広場になっているが
ここは事故当時ヘリコプターの発着場所として開発されていた。
(図2) 8月12日を前に毎年群馬県警の4月に入校した初任科生たちによって、
昇魂之碑およびその周辺を清掃し、献花をしている。今年は12月8日に行なわれた。
運命の時刻 1985年8月12日午後6時12分、
日航123便は、東京・羽田空港から大阪・伊丹空港に向かって離陸した。
伊豆半島南部の東岸上空に差し掛かる直前の午後6時25分ごろ、
「ドーン」という音とともに機体に異常事態が発生し、操縦不能になった。
同56分、群馬県多野郡上野村山中に墜落した。
機内には、乗客509人と乗組員15人の計524人が搭乗していた。
うち乳児12人を含む520人(乗客505人、乗組員15人)が死亡、
乗客4人が重傷を負った。一家全員が亡くなったのは22世帯に上ると言われています。
日没を迎えたため墜落地点の特定に手間取り、
場所がはっきり特定されたのは翌13日になってからだった。
当時、メディアは墜落現場を「御巣鷹山」として報道したが、これは間違い。
正確に言えば、墜落地点は群馬県・上野村高天原山の斜面(標高1565㍍)である(報告書による)。
事故後、警察関係の報告書を作成するにあたって、正確な場所の名称を求められた当時の村長
が、墜落地点を『御巣鷹の尾根』と命名した。
事故直後は、登山口から沢づたいに2時間以上も歩かねばならなかったものの、
地元、遺族らの努力で登山ルートの整備が行われ、
現在では10台程度収容の駐車場が設置された登山口から、
30分~40分程度、約180メートルの標高差を約1㌖登って、
たどり着く事ができるようになった。
真夏の暑い日、180㍍の標高差を上っていくのは多くのエネルギーを必要とする。
事故から37年目の夏、遺族も歳をとり、子どもの代や孫の代になっている。
コロナの影響もあり年々遺族の参加も減少している。
昇魂之碑は、墜落現場にきずかれ、遺族にとっては個人を偲ぶ聖地として
認知されている。
一方この場所から『慰霊の園』までは、車で20㌖およそ1時間。520人の遺体は、
損傷が激しく、検死総数は2065体におよびます。バラバラになった遺体の手や足や
部位さえ判明しない肉片が一つの遺体として検死を待つ間2065体の遺体となったそうです。
こうした遺体を『分離遺体』といいますが、最後まで誰の遺体か特定できないものが、
101あり、これらは引き取り手のいない遺体として慰霊の園の納骨堂に埋葬されました。
次回は「慰霊の里」・「慰霊の塔」について掲載します。
(昨日の風 今日の風№134) (2022.8.26)
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