太平洋戦争末期、米軍が広島と長崎に原爆を投下した。
あれから71年、やっと実現した現職大統領の被曝地訪問だ。
世界で最初に原子爆弾の攻撃を受け広島、長崎の願いが
71年にしてやっと叶うことになった意味は大きい。
核軍縮と廃絶への第一歩が踏み出されたのだ。
核爆弾の使用が人類の滅亡をも予測させるような無差別殺人兵器は、
米国のマンハツタン計画の実験の結果だ。
人間の暮らしが、一発の原子爆弾で地獄絵図に変わる。
その犠牲はあまりにも大きく、被曝の悲劇は今も続いている。
オバマ大統領の広島滞在は、1時間程だったが被爆地訪問の意味は大きい。
「真の和解は、相互の心情を理解し、歩み寄る努力にしかない」と
朝日新聞社説は5/28付社説で、核なき世界の実現が容易ではないことを示唆し、
「核なき世界への転換点」になればよいと論調を進めている。
それぞれの国にはその国の「民意」・「国民感情」があり、国としてのメンツもある。
だが、こうしたことに強いこだわりを持てば持つほど、「核なき世界」への実現は遠のいていく。
話し合いの舞台も遠ざかってしまう。
核を持たなければ、世界のリーダーシップは取れないのか。
「政治は数、政治は力」と言われるが、「力なきもの正義にあらず」という論理が通ってしまう世界は、
なんと生きづらく殺伐とした社会だろうか。
「力なきものの正義」が認められるような社会の実現が望まれる。
(風の行方№37)
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