昨日の風 今日の風 (3)
棄権は無責任ではないか
衆議院総選挙が終了し、自民党の圧勝で政権交代を迎えた。
福島第一原発事故では多くの被害を被り、今なお16万人の人々が、避難生活を余儀なくされている。
放射性物質の拡散も、津波で壊滅的打撃を被った東北の太平洋沿岸にまで広範囲に渡った。
風評被害もいまだに沈静することなく、現地の農業、畜産、漁業従事者を苦しめ、復興の妨げとなっている。
安全神話が崩壊し、原発の危険性を私たちは嫌というほど知らされた。
原発をゼロにする公約を掲げる政党が勝つのか、
従来のエネルギー政策を継承し原発推進を掲げる政党が勝つのか、
選挙結果によっては、その流れが大きく変わっていく。
「政権交代になるかもしれない」、「国の方向性が大きく変わるかもしれない」
大切な選挙に、投票率59.32%、戦後最低の投票率である。
国の方向性が決まる選挙に、
国民の誰もが関心を持った「原発の行方」や、私たちの生活に直接影響する「税と社会保障」の問題も
「どうでもいい」と思う人はいないはずだ。にもかかわらず4割以上の有権者が棄権してしまう現実。
「どの政党にも期待しない」、「誰が総理になっても同じ」……よく聞く町の声である。
だからと言って、「棄権する」というのは、論理の飛躍であり、「国民としての権利」を放棄することです。
「どの政党にも期待しない」ほど、政党のことを理解していますか。
「誰が総理になっても同じ」というほど私たちの代表になろうという人を理解していますか。
選ぶ権利を放棄する無責任さを、一般論に合わせてカムフラージュしてはいないか。
たった一票だけれど、一人ひとりの一票が大きな票になり、政策の決定に繋がっていく。
「私一人の一票がなくったって」と考えるのはよそう。
一票の責任は小さな責任だが、ある方向性と意志を持った時、とても大きな力となるのだから。
間接民主制による議会制民主主義は、この一票の積み重ねがなければ成立しない。
政治や政党を批判はするが、選挙は棄権する、というのではあまりに身勝手ではないか。
政権の座は民主党から自民党に移った。
何が変わっていくのか、私たちにはしっかりとそれを見極める責任がある。
(次回は「原発はどうなるの」)
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