読書案内 「すずかけ通り三丁目」(2)
「すずかけ通り三丁目へ行ってください」
四十ぐらいの、色の白い女客はタクシー運転手に告げたが、さて、そんな通りは聞いたことがない。
「客の勘違いではないか」と思いながら、車を発車させる。
しばらく走ると客の言う目印の「白菊会館」が見えて来た。
客の指示通り、そこを右に曲がったとたん街の景色は一変し、
アスファルトの道の両側にすずかけの並木が、ずうっと奥まで続いていた。
屋根の赤い小さな家の前で客は降り、
タクシーは大きなすずかけの葉がさわさわと揺れている木陰に車を止め、客の帰りを待つ。
(こんなしずかな通りがあっただろうか。車が、一台もとおっていないじゃないか。夢でも見ているようだ。)
運転手の松井の耳に、さっきの客が入った家の方から、たのしそうなわらい声がきこえたようなきがしました。
やがて、戻ってきた客からこの街が、終戦の昭和20年の夏にB29による空襲を受けたこと。
火の海の中を3歳の二人の息子を、一人を背負い、一人は抱いて逃げたが、
気付いたときには、二人とも死んでいたと、悲しい話が続きます。
「むすこたちは何年たっても三さいなのです。母おやの私だけが、歳をとっていきます」。
もし息子さんたちが生きていれば、もう二十五歳ですねと問いかける松井に、婦人はそう答えました。
亡くした子の歳を数えると言いますが、
あの悲しい空襲の時から、時間は止まり、
この街で暮らした楽しい日々も、赤い屋根の小さな家も、
さわさわと揺れるすずかけの大きな葉をゆらしてそよぐ風も、
婦人の胸の内によみがえってくるのでしょうか。
松井のタクシーが駅に着くと、
「おつりはいらない」といって千円札を出す婦人の手は、茶色ですじばったおばあさんの手になっていました。
「二十二年まえのきょうなのです。ふた子のむすこたちがしんだのは」
松井が振り返ると、小さなおばあさんが座席に座っていました。ほそい目が、なみだでひかっていました。
真夏の強い光を浴びて、丸くなった背中で、
寂しそうに駅のながい長い階段をあえぎ喘ぎ登っていく、年老いた婦人の姿が目に浮かんでくるようです。
データー:戦争と平和のものがたり(児童文学) 第2巻 戦争の時代を生きた作家が伝える、戦争にまつわる物語。第2巻には7つの物語が収録されています。その一編が「すずかけ通り三丁目」です。ポプラ社 2015.3月 第一刷 なお、このシリーズは第五巻まで発刊されています。
評価☆☆☆☆☆ (2015.5.21記) (おわり)
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