読書紹介『聯合艦隊司令長官 山本五十六』 (2)
日本陸軍の戦果も、東南アジアの要地はすべて予定通り占領し、
石油、錫、ゴム、鉄鋼などの豊富な資源をすべて確保し、
山本が提唱する「短期決戦で講和戦争終結」は、
「長期不敗の体制」となり、講和への道はどんどん遠ざかっていきます。
本書は映画の原作として上梓されたものであり、資料に基づき史実と推察が一体となって、
聯合艦隊司令長官・山本五十六の人間像を描いています。
太平洋戦争が当初「大東亜戦争」と称していたように、
日本には4年半に及ぶ日支事変を一気に解決し、
満州、シベリアを手中にし、全アジアを統括しようとする意図があり、
対米英戦争への軽視があったようである。
時勢はすでに、大艦巨砲主義の時代は終わり、
制空権を獲得するための戦闘機の時代に入り、物量作戦の時代に突入していた。
本誌は太平洋戦争勃発前夜から、山本が戦死するまでをドキュメント風に簡易にまとめ、
聯合艦隊司令長官山本五十六の生き方を描いている。
『短期決戦で講和による戦争終結』を提唱し、
一歩も引かなかった司令長官山本だつたが、
志半ばに彼の塔乗機は、ブーゲンビル島上空で、
アメリカ空軍P38戦闘機によって撃墜され、
彼はジャングルの露と消えた。
余 話 : 阿川弘之著の「山本五十六」(新潮社・1994年刊)の小説の中で 次のような記述がある。
『(撃墜された)山本の遺体は攻撃機の胴体の左側にあり、そのすぐそばに白服を着た年配
の軍医が仰向けに大の字になって死んでいた。これは艦隊軍医長の高田六郎少将である』
艦隊軍医長・高田六郎は茨城県筑西市(旧下館市)の人で、この人の墓所が私の家の近くにある。
墓誌には、海軍軍医中将従四位勲二等功三級醫博 昭和十八年四月十八日山本元帥機同乗
戦死 享年五十才」とあり、戒名「大慈院殿護国南海日仁大居士位」とある。(写真)
(つづく)
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