パラリンピック 難民選手団
② 多くの困難を乗り越えて
オリンピックでは若い10代の選手の活躍が多く見られましたが、
パラリンピックでは中高年選手の活躍が多くありました。
例えば、最終日の5日、日本選手団で最高齢・視覚障害がある西島美代子さんは66歳です。
レースの終盤では両足がつり何度も立ち止まり、伴走者と声を掛け合いながら、
42.195㌔を完走しました。栄光の8位入賞でした。
『自らの可能性に挑むそんなパラリンピアたちの姿は、障害や世代、性別、
国籍を超越した人間の「個」としての尊さを伝え、
一人ひとりの違いを認め合うことの大切さを体現していた』(朝日新聞9/6記事)
国を超え、障害を乗り越え、単にスポーツ技術だけでなく、スポーツを生きる希望として
切磋琢磨する者にとって年齢の差はないのかもしれない。
オリンピックが失いつつある、オリンピック精神をより強く反映しているのは
パラリンピックなのかも知れない。
イブラヒム・フセイン選手
フセイン選手はシリア出身。
東京2020パラオリンピック競泳男子100㍍平泳ぎ出場。32歳。
シリア東部のデリゾールで生まれ、水泳コーチだった父の影響で、五歳から泳ぎ始めた。
アラブの春に右足を失う
2011年、「アラブの春」と呼ばれる民主化運動がシリアに波及し、やがて内戦に発展した。
スポーツ施設は閉鎖され大好きな水泳はできなくなった。
街には毎日のように爆弾が落ち、インフラ設備も破壊され、食料も途絶えがちになった。
2012年、狙撃手に撃たれた友人を助けに行き、
近くに砲弾が落ち、右足の感覚を失いひざ下から切断した。
身の危険を感じトルコに逃げたが、十分な治療は受けられなかった。
2014年、戦火を逃れ、密航を斡旋する非合法業者に依頼し、
ゴムボートでエーゲ海を渡り、ギリシャのサモス島に渡り、亡命を果たした。
トイレ掃除の死後とも見つかり、住む場所も決まった。
ここまでになるのに、多くの人の善意があったという。
移動や旅費は周囲の人たちが助けてくれた。
もちろん、医師の協力は今のイブラハム・フセインのアスリートとしての出発に
大きな貢献をしたに違いない。
こういう周囲の善意や支えがあったから、意欲的に水泳に取り組むことができたのだろう。
才能は少しずつ開花していく。
2016年リオデジャネイロ・パラリンピック大会では、初めて結成された難民選手団に選ばれ、
旗手を務めた。
足を失ってから約9年が過ぎ、うつの症状に悩み、生きる意味も失いかけたが、
「スポーツをやっているときは気分が和らいだ」と心の内を述懐する。
壮絶な人生を振り返りながら、
「難民だって新たな可能性をつくっていける」と、決意を新たにする。
7月29日の50メートル自由形運動機能障害のクラスの予選に臨んだイブラヒム・ フセイン選手は、
世界記録を持つ選手が引っ張る速いレース展開の中、最後まで食らいつき、
30秒27のタイムで、この組の8位でした。
決勝に進むことは叶いませんでしたが、
「スポーツは私を突き動かす、人生になくてはならないものです。
すべての難民にスポーツをする機会を与えてほしい」と意欲的である。
かつてシリアで命を救った友人にはいま3人の子どもがいるということで、
イブラハム・ フセイン選手は、
「彼が幸せでいてくれることが、私にとっても生きがいになっている」と話しています。
(イブラハム・フセイン選手の項目は、中日新聞、朝日新聞WEBニュースを参考に構成しました)
国際パラリンピック委員会によると、紛争から迫害から逃れ、
家を追われた人々はこの10年で大幅に増え、現在は世界で8200万人を超える。
このうち約120万人が傷害があるという。
(おわり)
(昨日の風 今日の風№123) (2020.9・11記)
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