死顔 最後のお別れ②
読経が終り、焼香が始まった。
斎場の係の案内で、前の方から順に祭壇の前に案内され、
焼香がすすめられていく。
この時を「故人との最後のお別れ」と、私は理解している。
祭壇の遺影に向かって合掌し、無言の「さようなら」を呟く。
近しい人や、生前深い親交のあった人には、
在りし日の姿を思い浮かべ、
胸の中で語りかける少しの時間が欲しいのだが、
焼香の列は続き、流れに沿って歩みを進めるしかない。
型どおりの告別式が、進行し焼香が終わると、
「お別れの儀」が始まる。
棺のふたが開けられ、遺族や親族等によって「別れ花」が、
棺の中の個人に供えられる。
最後のお別れだ。
最後に斎場の係員の呼びかけで、
一般の参列者に向けて、「別れ花」を供えるよう促す案内がある。
傍観者であった一般の参列者が、棺に横たわる故人の顔を拝みながら、
「別れ花」を供える。
私はご焼香の時に、「最後の別れ」はすませてきているので、
今さら個人の顔は見たくない。
病み衰え、或いは老いて昔日の面影の残らない顔を見るに忍びない。
(だからこそ、個人の旅立ちへのはなむけとして、遺体の周りを花で埋め尽くし、
彼岸への旅立ちに、「別れ花」で飾るのかもしれない)。
生前の元気な顔を祭壇の遺影の中に求めて
「別れ花」を私は供えなかった。
肉親以外の最後のお別れは、ご焼香で行えばいい。
一般の参列者にまで、故人の顔をさらすのはいかがなものでしょう。
「死」をテーマにした小説の多い、吉村昭は小説の中で次のように述べている。
通夜の席で遺族から死顔を見て欲しいといわれた時には、 |
実際の吉村氏の「最期」は、完璧だった。
手術の前に克明な遺書を書き、延命治療は望まない。自分の死は三日間伏せ、
遺体はすぐに骨にするように。葬式は私(津村節子夫人)と長男長女一家のみの家族葬
で、親戚にも死顔を見せぬよう。…(略)原稿用紙に、弔花御弔問ノ儀ハ個人ノ意志
ニヨリ御辞退申シ上ゲマス 吉村家 と筆で書き、門に貼るようにと言い残して
逝った。香奠はかねがねいただかぬ話をしていた。
(遺作短編集「死」の遺作について 津村節子 より)
(吉村氏の死が間近であることがはっきりしてきた時)夜になって、彼はいきなり点滴の管のつなぎ目をはずした。私は仰天して近くに住む娘と、二十四時間対応のクリニックに連絡し、駆けつけてきた娘は管を何とかつないだが、今度は首の下の皮膚に埋め込んであるカテーテルポートの針を(夫は)引き抜いてしまったのである。私には聞き取れなかったが、もう死ぬ、と言ったという。
介護士が来た時、このままにしてください、と私は言い、娘は泣きながら、お母さんもういいよね、と言った。
………吉村が息を引き取ったのは平成十八(2006)年七月三十日の未明、二時三十八分であった。
吉村昭氏のご冥福を祈る。 合掌
(2018.12.18記) (つれづれに……心もよう№85)
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