雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

「本当の幸せ」 沖縄「慰霊の日」追悼式

2019-07-13 06:00:00 | 語り継ぐ戦争の証言

「本当の幸せ」沖縄「慰霊の日」
         少女の願いは、万民の願い
   

  
   青くきれいな海
  この海は
  どんな景色を見たのだろうか
  爆弾が何発も打ちこまれ
  ほのおで包まれた町
  そんな沖縄を見たのではないだろうか

  緑あふれる大地
  この大地は
  どんな声を聞いたのだろうか
  けたたましい爆音
  泣き叫ぶ幼子
  兵士の声や銃声が入り乱れた戦場
  そんな沖縄を聞いたのだろうか

  青く澄みわたる空
  この空は
  どんなことを思ったのだろうか
  緑が消え町が消え希望の光を失った島
  体が震え心も震えた
  いくつもの尊い命が奪われたことを知り
  そんな沖縄に涙したのだろうか
      沖縄「慰霊祭の日」少女が願った「本当の幸せ」(朗読詩)     

 沖縄県主催の沖縄全戦没者追悼式で、
  糸満市立兼城小学校6年の山内玲奈さん(11)が朗読した詩「本当の幸せ」の前半です。 


 沖縄の青い海は どんな辛い景色を見たのだろう。
 この大地に どんな悲しみが刻まれたのだろう
 戦争の愚かさを 沖縄の空は嘆いたのだろうか。
 小学6年生の少女は、沖縄の海や大地や青く澄み渡る空に気持ちを感情移入して
 自分の生まれ育った島の悲して辛い過去を投影します。

 平成生まれの11歳の少女は、74年前にこの島が体験した悲惨な出来事を思いながら
 自分たちのしなければならないことを詠う。

 
  平成時代 私はこの世に生まれた
  青くきれいな海 緑あふれる大地
  青く澄みわたる空しか知らない私
  海や大地や空が七十四年前
    何を見て
      何を聞き
      何を思ったのか
      知らない世代が増えている
      体験したことはなくとも
      戦争の悲さんさを
      決して繰り返してはいけないことを
      伝え継いでいくことは
      今に生きる私たちの使命だ
      二度と悲しい涙を流さないために
      この島がこの国がこの世界が 
    幸せであるように

  「 二度と悲しい涙を流さないために」そして、この世界が幸せであるように、 私たちは沖縄の悲劇を伝えていかなければならない。
11歳の少女が「詩」に託した思いを疎かにしてはいけない。

 あれから四十七年が過ぎ、体験者が年々減っていく時の流れの中で、
「沖縄の悲劇」が風化していくようです。
特に本土に住む私たちにとっては、
「沖縄」を対岸の火事として、
傍観者の立場を取る人も少なくないようです。


6月23日がなぜ、沖縄の特別の日「慰霊の日」なのでしょう。

 沖縄戦における戦死者は住民や日米両軍合わせて20万人以上。
 この沖縄戦は太平洋戦争で唯一、
 一般住民が地上戦を体験したといいます。
 地獄のような戦場が展開されたのです。

 そのうちの約半数の9万4千人が一般人や子どもたちだったといわれています。
 この沖縄戦で、軍司令官牛島満中将と参謀長長勇中将が自決をしました。
 その日が昭和20年6月23日未明だと言われています。
 この日を、沖縄における日本軍の組織的戦闘が終結した日として、
 6月23日を「慰霊の日」として制定されました。



 紹介している詩「本当の幸せ」は、慰霊の日の追悼式で朗読されたものです。

       沖縄全戦没者追悼式が行われた場所は糸満の摩文仁の平和記念公園ですが、
       この地は先に紹介した2名の中将が自決した地区でもあります。

 この詩の最後は次のように結ばれています。

  
   お金持ちになることや
  
有名になることが 幸せではない
  
家族と友達と笑い合える毎日こそが
  
本当の幸せだ
  
未来に夢を持つことこそが
  
最高の幸せだ

  「命(ぬち)どぅ宝」
  
生きているから笑い合える
  
生きているから未来がある

   令和時代
    明日への希望を願う新しい時代が始まった
  
この幸せをいつまでも

   生きていることの幸せを
   本当の幸せだと
   11歳の少女は詠う。
    この幸せをいつまでも と。
 

 沖縄の悲劇。
 忘れてはなるまい。

 琉球王国の象徴であった国宝・首里城は、跡形も無く破壊された。

 ひめゆり学徒隊は、1945年3月23日に動員された。
 戦争が終わる5カ月前、民間人を動員しなければ戦も継続することができなかった。
 当時16歳であった女学生240名のうちで半分以上の136名が殺害・もしくは自決によって
 命を失った。

 敵につかまると女は強姦され、男は八つ裂きにして殺される」という在郷軍人会等の
 教えに、315人が集団自決に追いこまれた。

 戦争そのものが悲劇であり、地獄である。

 少女の詩は、命の大切さを
 「生きているから笑い合える」と詠っている。
 忘れてはならない戦争の悲劇を私たちは伝えていかなければならない。
 

※参考ブログ
(拙ブログでは、終戦記念日「白旗の少女」というタイトルで
たった一人で白旗を掲げて米軍に投降してきた少女の見た地獄の戦場を
3回に渡ってアップしています。  2017.8.17~18)
     

(語り継ぐ戦争の証言 №23)       (2019.7.12記)


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