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読書案内「魂でもいいから、そばにいて」 3.11後の霊体験を聞く(1)

2017-09-28 10:02:18 | 読書案内

読書案内「魂でもいいから、そばにいて」 3.11後の霊体験を聞く(1)
           奥野修司著 新潮社 2017.2初版



(1)哀しみから立ち直るために

 東日本大震災から6年半の時間が流れ、
テレビや新聞の報道も、数えるほど少なくなってきています。

「風化」という言葉が浮かび、
直接被害に遭わなかった多くの人々にとって、
話題にすらのぼらなくなった災害だ。

『復興』という言葉もどこか他人事で、虚しい響きさえする。
瓦礫の撤去が終り、
更地になってしまつた海岸線に近い平地をどのようにするのか。
山を削り、或いは土盛りをし、新しい街づくりを計画し、
失われた故郷の近くの新しい街で、
どんなコミュニティーを築いていったらいいのか。

高い防潮堤を築き二度と被害に遭わない環境づくりの代価として、
失うものも多いに違いない。

新しい家を建て、
再出発の旗をあげても、
かけがえのない最愛の人を喪った悲しみは、
今も消えずに深い傷となって残っている。

取り戻すことのできない失われた命を思えば、
くじけそうになる時もあるが、
生かされた命を大切にして、
辛い思いや悲しみを乗り越えて頑張ってみよう。
そうした人々の中に、
亡くなった人との霊体験をした人たちがいた。

 なぜ私を置いて一人で逝ってしまったのか。
なぜ自分だけが生き残ってしまったのか。
無念と後悔が入り混じるなかで、
不思議な体験を人たちがいる。


 これは災害によって肉親や近しい人たちを失くしたための、
精神的後遺症として知られた現象であるらしい。

喪失を乗り越えようとする気持ちと、
受け入れたくないという気持ちの間で揺れ動く心の葛藤を背景に、
個人や共同体を回復に向かわせるプロセスであると心理学では説明されている。


 著者はこうした被災者の心の葛藤を東北に3年半通い、
口を閉ざした被災者の一人ひとりに会い、
あの世とこの世を行き交う死者との交流(霊体験)を丁寧に聞き出している。


 『大切な人を喪った遺族には、何年たっても復興はないのです』
 39歳の妻と1歳10カ月の次女を津波にさらわれた亀井さんの言葉が重くのしかかってきます。
津波で家もろとも流され、
土台しか残っていないこの場所も間もなく土盛りされ跡形もなくなってしまう。
そのことを問われて亀井さんはつぶやく。
『土台だけでもあれば、あの時のことを思い出せます。ここがなくなると、私には異例の場がなくなるんです。遺族はみんなそう思っています。使い道がないんだったら、いじらないでそのままにしてほしい。亡くなった人と共に生きようというか、遺族はそう思いながら人生の残りを生きたいんです』
 亀井さんたちが生きた場所さえも、
痕跡もなく整地してしまう。
復興という将来の街づくりのためを思えば、
黙って涙を超える人がたくさんいる。
『納骨しないと成仏しないと言われますが、成仏してどっかに行っちゃうんだったら、成仏しない方がいい。そばにいて、いつでも出てきてほしいんです』
 あの冷たい墓の中の暗闇に置きたくないと亀井さんは、
仏壇の前に花で埋もれるようにして並んだ二つの骨壺を眺めながら言う。
消えることのない哀しみを背負いながら、
それでも一歩一歩前に向かって歩いて行こうとする。
魂でもいいから、そばにいて……
かけがえのないものを失った人たちの共通のつぶやきなのだろう。
        (読書案内№110)                
 (つづく)
  次回は哀しみから立ち直っていく過程で遭遇した不思議な体験を紹介します。
    (2017.9.28記)







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