読書案内「聞かなかった場所」
松本清張著 光文社カッパ・ノベルス1971初版
(写真は角川文庫版 光文社版は絶版)
農林省課長補佐の浅井が妻の急死を知ったのは神戸の出張先の宴席の最中だった。
冒頭から興味をそそられ、一気に読んでしまう書き出しだ。
彼女は外出先で心臓麻痺を起し、代々木の化粧品店に倒れこみ、医者が駆けつけた時には息絶えたという。
結婚7年目を迎え、八つ年下の妻・英子を浅井は愛していた。
代々木の坂の多い場所は、妻の口からはついぞ聞いたことのない場所だった。
心臓の弱かった妻がなぜ坂の多いあの街に行ったのか。
どんな用事があったのか。
小さな疑問が浅井の心の中で増殖していき、やがて一つの仮説が生まれる。英子に男がいたとしたら…。
「夫婦生活の隙間風が妻の心から潤いを奪い、妻が愛の充足を夫以外の男に求める」という話は、
小説の題材によくあるが、それが自分の身の上に起こることなど想像もしなかった浅井だったが、
よく考えれば思い当たることがないわけではない。
この小説の面白いところは、当の本人はすでに死亡して、問いただすことができない。
死んだ妻の生前の行状を、下級官僚の浅井が掘り起こしていくというストーリー展開だ。
やがて、男の影が現実の姿となって現れた時、妻は本当に化粧品店で絶命したのか。
新たな疑問が浅井の脳裏に浮かぶ。
ここまでが前半。
後半は、浅井は男を問い詰め、謝罪を要求するが、意外な事実を口にする男。
このあたりから、被害者(?)浅井と加害者の(?)男の関係が逆転していく。
単なる不倫物語に終わらないのが松本清張の小説です。予想もしなかった殺人事件。誰が誰を殺したのか。
浅井が農林省の職員であることも、この事件の重要なポイントになっていて、最初からきちんと組み立てられた人物設定。
逃げる犯人、自動車のライトに照らされた犯人の姿が逆光になって暗闇に浮かぶ……。
犯罪の終幕を予測させるラストの一行が小気味よい。 (2015.9.6記)
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