敦賀へ行ったとき、いつも気になっていた金崎宮さん。
山の上にあるというイメージで行きそびれていた。
で、6ヶ月点検を終えたアルトワークスの調子はどうじゃろかと行ってみた。
ワークスの調子は抜群です。
ナビのテレビアンテナを修理してもらって、感度がすこぶる良くなった。
平日は161号線も空いています。
あれよという間にマキノあたり。
追坂峠にとうちゃこ。
野菜を仕入れた。
国境峠を行かず、永原の交差点から沓掛を抜ける道とした。
ほとんど車は通らず、すんなりと国道8号線に合流できる。
敦賀のランプ小屋のところに駐車した。
お地蔵さんにご挨拶。
ここから階段が始まる。
疲れそうでございます。
階段の途中の右側に愛宕神社があった。
金崎宮の広い境内に入った。
ここからも景色がよく見える。
金崎宮(かねがさきぐう)の本殿。
御祭神
尊良親王(たかながしんのう) 後醍醐天皇一の宮
恒良親王(つねながしんのう) 後醍醐天皇皇太子
御祭徳
「縁結び・恋愛成就」、「難関突破」、「開運招福」、「金運招福」
清楚でシンプルで凛とした本殿である。
参拝できて良かったです。
本殿左側にある絹掛神社。
絵馬は可愛らしい感じ。
御朱印を戴きました。
明智光秀ちゃんも押印されている。
金ヶ崎城跡の方へ歩いてみた。
城跡を見て、月見御殿跡の展望所まで急な坂。
汗が吹き出てきました。
金崎古戦場跡
延元元年(1336年)恒良、尊良両親王を守護した新田義貞が足利軍と戦った古戦場。
月見御殿跡の展望所。
すっきりと敦賀湾が見えます。
風が心地よく、ここで持ってきたお弁当を食べた。
右側には関西電力敦賀火力発電所が見える。
皇太子殿下臺臨之跡。
大正天皇が皇太子のときに立ち寄られた跡。
帰りはコースを変えて焼米石出土跡を通った。
戦国時代に金崎城の兵糧庫があり、その焼米が出土したと書いてある。
こちらの道はジグザグに降りていき、金崎宮に出る。
いい運動になりました。
帰りは27号線で若狭を堪能しながら帰宅。
ボルボのダンプを風よけにしてスイスイ。
『金ヶ崎城跡』お疲れ様でした。
でも敦賀湾が見下ろせて良いところですね。
次回・・・京都へフェリーで出向く事あれば
金ヶ崎神社参拝を帰りのフェリーに乗船前に訪れたいと思っています。
でも・・・次回の予定は??
車で来るなとお達しされてます。
田舎のナンバーでウロウロされると都会人は迷惑だと「逆走・のろのろ運転が心配って事でしょうかね」
金ヶ崎城跡はいいところでした。
月見御殿跡の展望所についたときはホッとして、その見晴らしの素晴らしさに疲れも吹っ飛びました。
展望所からは新潟や苫小牧への敦賀新港が見えます。
車で来られる方がいいと思いますよ。
三密が防げて、遠慮なくマスクを外せますからね。