ペーパー・写・楽

ペーパークラフト、京都の写真、カブ、自転車、軽自動車で楽しんでいます。

カブでとことこ 桃山御陵界隈

2008-08-31 20:12:19 | 神社
 明治時代から昭和初期の歴史について、何かものすごく興味がある。
なぜ興味があるかというと、マスコミがあまり取り上げないからである。

原爆、空襲、沖縄決戦とか終戦間近の悲惨な光景を伝えることは、使命で
あるとも考える。
こんなことを言っては失礼だが、色々なところで特集で組まれているので、
かなり見すぎてしまってる。

自分としてはどちらかというと、なぜ日露、日清、第一次、第二次大戦
が始まってしまったのかという点に引き寄せられる。

ということで、天気も良いので、明治天皇陵と乃木神社を訪ねてみた。


カブとスクーピーで、まず乃木神社へ。
京都乃木神社の公式HPには以下のように書かれている。
『乃木神社は乃木希典大人之命(ノギマレスケウシノミコト)を祀る神社です。
京都に乃木神社が創建されたのは、明治天皇の崩御に際しての殉死の一言に
あります。
「うつし世を神去りましし大君の御あと慕いて我は逝くなり」の辞世の句を
残して殉死されたので、京都の桃山御陵の隣に建てられたのです。』


樹齢3千年、幹の直径2m以上といわれる台湾阿里山の檜、1幹で造られ
た神門。
大きな1枚板の門。




日露戦争で活躍した巡洋艦”吾妻”の主錨をモニュメントにした旧海軍将兵
慰霊碑。
吾妻はフランスから購入した最初期の装甲巡洋艦




日露戦争時に旅順柳樹房で第三軍司令部として使われた民家を移築した建物。


建物の中には「成長だるま」が飾られている。


乃木少年が長府(山口県)で父母妹達と慎ましい生活をしていた時代の旧宅。
足軽の家を借りて、家族7人が住んでいた。


拝殿と乃木将軍の愛馬。
拝殿は御霊を護って対峙する方向に建てられている。


乃木神社のお守りは「勝ちま栗」。「負けま栗」でなくて良かった。
小さな祠の中に、御影石でできた栗が鎮座してる。
境内には色とりどりの花もあり、休憩場所もある。時代背景が違うのか
訪れる人も少なく、穴場的な良い場所と思う。



カブとスクーピーを乃木神社に置いといて、明治天皇桃山御陵へ。
京都市内にこんなとこがあったのかーって感じの杉木立の道。


明治天皇陵。
広い。少し東へ行くと昭憲皇太后(明治天皇皇后)の御陵がある。ほとんど
同じ感じ。


ここから宇治方面が眺望できる。人が立ってる向こうは急な階段。


下からみるとこんな感じ。トレーニングで来ている人が多い。




帰りのついでに伏見桃山城へ。


乃木神社、明治天皇桃山御陵と「坂の上の雲」を訪ねてみたが、東郷平八郎、
秋山好古、真之ゆかりの地も行ってみたい。
まずは横須賀の三笠記念公園かな。
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ペーパークラフト 1/200 駆逐艦 冬月を作る その2 FUYUZUKI

2008-08-30 18:15:25 | ペーパークラフト 1/200 駆逐艦 冬月
 雨模様で1日家にいる。のんびり家にいる。

ペーパークラフトを作るのも、ボンドがゆっくり乾燥して、
ゆったり作るには都合がいい。


フレームの残りのパーツを切り取った。
切り間違いがないか並べて確認。


フレーム水平面の裏面にガイド用の中心ラインを引く。


3パーツに分割されたフレームを接着して1mm厚の紙で補強。


上面のフレームを木工ボンドを厚めに塗って接着。
この時、前後から何度も見て、まっすぐになっているかを確認。


下面のフレームを木工ボンドを厚めに塗って接着。




上面と下面のフレームが合っているか確認。
また、前後からすかすように見て、ゆがみとか無いか確認。


甲板は少し大き目の台紙(1mm厚)に付いてる状態で、手すり用の支柱穴を
開ける。
切った後だとピンバイスの刃先が外側に逃げてしまう。
支柱穴を開けたら、ラインに沿ってカット。
フレームのカーブに合わせ接着。ゴムバンドで固定させ乾燥を待つ。


甲板の乾燥待ちの時間に飾り台を作る。






甲板張りまで完了。甲板の切り口に同系色を塗っておいた。
MODELIKの製品はここまでの寸法はぴったり。


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ペーパークラフト 1/200 駆逐艦 冬月を作る その1 FUYUZUKI

2008-08-29 18:48:25 | ペーパークラフト 1/200 駆逐艦 冬月
 1/400の戦艦大和と空母瑞鳳を作ってきたが、1/200の艦船をまた作ってみ
たくなった。
この前買った大淀、冬月、初霜のうち、どれにしょうかと思ったが、紛失時
用のコピーを取ったことから、冬月を作ることにした。

MODELIKの製品は始めてなので、パーツの合い具合とか強度確保の方法について
未知の心配もある。
できるかどうかさっぱり見当が付かない。

冬月(ふゆづき)
1944年5月25日、舞鶴工廠にて竣工。菊水作戦時には大和と共に出撃。帰投後は
門司で防空砲台として使用されて終戦を迎える。
戦後工作艦として使用。
1948年解体。船体は涼月と共に若松港の防波堤となる。

キットについて
型紙:A4、12枚 完成全長:67cm けっこう大きい。

今回も記録のため手順の詳細を書いていくつもりである。
失敗した場合、どこでつまづいたのか後でわかるようにしたい。
あくまで自分なりの方法なので、ペーパークラフトを作っている他の方々とは
かなり異なると思う。


表紙。
作成にあたって、当時の乗組員の方々にいつものごとく敬礼。


星印2個の部品は1mm厚に設定のため、1mmの厚紙に木工ボンドで貼り付け。
ボンドを均一に塗布するのは中々むずかしい。いつもある程度大目に塗り、
厚紙の切れ端で内側から外側へ向けて、余分なボンドを掃きだす感じで
やっている。
この時、原紙はしっかり押さえてずれないように注意する。
ずれたら悲惨なことになる。

1mm厚の用紙だが、画材屋へいくと厚さではなくグラムで言われる。
店員→何グラムの用紙ですか? 私→自分の体重は何キログラムか判るが、
紙の重さは知りません。とりあえず1mm厚ぐらいの紙ください。
で、色々持ってきてくれた用紙のうち、コシがあってなおかつ切りやすそうな
ものを選んでる。


星印1個の部品は0.5mm厚に設定。
0.5mm厚は学校工作用紙を使ってる。
安い。コシがある。ねばりもある。切りやすい。ペーパークラフトを作る
ために販売されていると錯覚する。


フレームの部品はガイドとなる溝を切り込むが、このような印刷部品の場合、
周囲を切ると後でどちらに切り込みを入れるのか迷う。
そのため、切るほうに赤のボールペンで印を入れる。


同じように0.5mm厚の部品にも印を入れる。


フレームの乾燥を待っている間に、船底の部品を切り抜く。
MODELIKの場合、印刷面に小さく前方の方向矢印が書いてあるので便利。
裏面に部品番号を鉛筆で書く。
また、切り口を同系色で塗っておく。自分の場合は「あかしやの彩筆ペン」
の茶色を使ってみた。少し濃い目だが、塗りやすくいい感じがする。
画面を見て百足の足のとれたものと思わないように。


このときに赤の印が役に立つ。無ければどっちに切り込みをいれるのか
わかりづらくなる。


カッターナイフ(OLFAデザインナイフ)で切っているが、かなり疲れる。
切れ味が悪くなったら早めの刃先交換がいい。
切れ味の鈍くなったものを使うと、余計な所に力が入り誤って怪我をする。
今日はここまで切った時点で終了。




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再就職活動で大阪へ

2008-08-28 18:15:00 | 日記
 あせっちゃいないけど、いつまでも住所特定無職の状態では世間様に申し訳
ない。と思い、今日は大阪へ面接を受けに行ってきた。
今の生活に飽きたかというと、本音は全く飽きもせず自由に謳歌している。
仕事をしている時を思うと楽しくてしかたがない。

大阪は5ヶ月ぶりである。
大阪の街が好きかというとあまり好きでは無い。雑多である。個人的には日本の
東南アジアだと思っている。
まず、空気が悪くて鼻毛が伸びる。大阪駅のコンコースとか地下鉄の乗り換え通路
は特に人が多すぎて空気が悪いと思う。
しかし、食べ物音痴の身でも大阪の食い物はうまいと感じる。

面接場所は、雨の天満橋だったので、空気はきれいだった。
仕事の話を聞くと採用は1人だけ。応募は現在で30人以上いるとのこと。
あきらめた。

現実はきびしい。
まあそれでも面接は型通り受け、簡易な試験と登録だけは済ませてきた。


天満橋から北浜方面。川べりの公園とかが整備されきれいになってる。




天満橋から特急に乗ろうとしたら、こんな電車が走ってる。
ネットで調べると7200系きかんしゃトーマス号で石山坂本線には600系が走ってる
らしい。
乗って車内も見たかったが、特急が来るとのアナウンスがあったのであきらめた。

京阪特急の2階建て車両は、音が静かで快適。中書島から七条までは家の軒先を
縫って走るようで面白い。


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カブでとことこ 晴明神社界隈

2008-08-27 19:23:52 | 神社
 元々占いは好きではない。
TVに出ている占いばばあとかじじいを見ると、ペテン師か詐欺師に
見えてしまう。
霊感○○とか心霊写真を解説とかしているやつも同類である。

朝、民放でやっている今日の運勢とかが始まるとチャンネルを変える。
今日も一日元気で行こうと思ってるときに、根拠の無いことを言われ
る筋合いは無い。

だいぶ前に道を歩いていて、人相占いをやっているのを見かけたが、
占ってるやつの人相が悪い。

とかいってる本人が、占いで有名な晴明神社を覗いてみようと考えて
いるのだから、話は支離滅裂である。


晴明神社。堀川通りに面してる。
晴明神社で祀られている安倍晴明公は孝元帝の皇子大彦命の御後胤で、
幼い頃から非常に賢明で多くの道に秀でていた。特に天文暦学の道を
深く極め、神道を思いのままに操る霊術を身につけていた。
成人となった後には天文陰陽博士として活躍し、朱雀帝から村上、冷泉、
円融、花山、一条、の六代の天皇の側近として仕え、数々の功績をたて
た。
ふーん。博士やったんや。


この戻り橋は、平成7年まで実際に使われていた親柱でミニチュアを
再現したもの。


桔梗が境内にいっぱい咲いてます。の看板があったが入り口にほんの
少しだけ咲いてた。




晴明神社の境内には細い道路が通っている。その道にみやげ物やがあった。
この場所も占いで「儲かる」とでたのかな。


晴明井。
山城名泉の一つで病気平癒の水としてご利益がある水が湧き出る。
取水口がその年々の恵方を指す仕組み。
五角形は東西南北の方向がよーわからん。


神殿にも星形のマークがきんきらりん。


お尻と違います。厄除桃です。
このお尻、もとい、桃を撫でるとご利益がある。


結局、良くわからんかった晴明神社を後にして、細い一条通りを西へ。
このあたりは路地も多い。
自転車に乗ってる人が綱渡りをしているような錯覚におちいった。




このあたりも町家とかが多く、きれいに花を植えてる。


智恵光院の門が見えたので入ることにした


智恵光院は,称念山平等寺と号する浄土宗の寺で,永仁2年(1294)に
五摂家の一つ鷹司(たかつかさ)家の始祖である兼平(かねひら)が,自家
の菩提寺として如空(如一国師)を開基に迎えて創建した。
本堂は安政2年(1855)に再建したもので,安阿弥作という阿弥陀如来像
が本尊として安置されている。


獅子頭守護石と書かれてた。そういえば何となく獅子に見える。


喜八の塔。喜八っさんはどんな人か知りません。


金ぎょく竜王神。この石の何が金ぎょくなのか。なぞ。
智恵光院は誰でも入れる町のオアシス的な所です。


浄福寺の赤門をうっかり通り過ぎ、西門から入ってみた。
延暦年間(782~802年)に天台宗の寺として建立され、当時は二十五大寺の一つ
に数えられた。
室町時代末期の大永5年(1525年)に後柏原天皇から念仏三昧堂の勅号を賜って
浄土宗を兼ねるようになった。


地蔵さんの近くに大きな欅がどっしり構えてた。


木が先なのか、家が先なのか。




浄福寺の赤門。渋みが加わりどっしりしている。
この寺も開放されていて気兼ねなく入れる。いいお寺さん。





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