ペーパー・写・楽

ペーパークラフト、京都の写真、カブ、自転車、軽自動車で楽しんでいます。

首途八幡宮(かどではちまんぐう)へお参り

2009-08-31 11:45:52 | 神社
 選挙で大勝した鳩ぽっぽ。
地元出身で一度党首を勤め、偽メール事件でやむなく降りた前腹山城守
左衛門尉は好感がもてるが、日和見発言する鳩ぽっぽと選挙好きなだけの
小佐和奥州守主水之介は好きではない。

1年以上持つかどうかは疑問だが、まあ、一応新たな旅立ちを祝して、
首途八幡宮へお参り。


御祭神:誉田別尊(応神天皇)ほんだわけのみこと
    比賣大神ひめおほかみ
    息長帯姫命(神功皇后)おきながたらしひめのみこと

由緒 :かつてこの地には奥州で産出される金を京で商いをしていた金売吉次
    の屋敷があったと伝えられ、源義経が奥州平泉に赴くに際し、道中の
    安全を祈願して出立したといわれる。
    「首途(かどで)」とは、「出発」の意味で、以来この由緒により
    「首途八幡宮」と呼ばれるようになった。この故事により、特に旅立ち、
    旅行の安全の信仰を集める。

左側に八幡宮、右側に弁財天があり、少し高いところに鎮座されている。


場所は智恵光院通今出川を北に50m程行くと石の鳥居が見える。
鳥居には提灯がずらーと掛けてある。


鳥居から本殿まで長い参道がある。




入り口に鎮座する狛犬。
ちょっとメタボちゃん。


参道には源義経奥州首途之地の石碑がある。
今から約830年前、高倉天皇 承安年間(西暦1174年)に、 源九郎義経は、
牛若丸時代、 金売吉次(かねうりきちじ )の屋敷であったこの地で、鞍馬山
を抜け出して吉次と落ち合い、屋敷近くにあった「内野八幡宮」に奥州平泉の
藤原秀衡のもとへ出発するにあたり、道中安全を祈願して出立したという。


本殿。
質素な感じがいい。




弁天社。
こちらは小さな祠。

・・・・・

鳩ぽっぽの首途を祝いぽっぽ探し。

本殿の鈴緒の上に鳩ぽっぽ。




手水舎にも鳩。


絵馬にも鳩。


朽ちた瓦にも鳩。
もう片方が取れているのは、政局の暗示かも。


納札所にも鳩。




参道と境内の境にある門にも鳩。


首途八幡宮の北隣に公園がある。
整備されていてお茶で一服するには都合がいい。

・・・・・

”かどで”を祝ったが、眠首党と捨民党の連立がどのようになるか、
先のドラマは波乱万丈。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北野天満宮と周辺散策

2009-08-30 19:18:25 | 神社
 カブとスクーピーを北野天満宮に停めてぐるりと散策。
コースは、
北野天満宮~千本釈迦堂~本隆寺~首途八幡宮~晴明神社~
智恵光院~浄福寺。

ぐるりと廻って12,000歩。けっこう歩いた。

全てを記載する気力がないので、今回は北野天満宮と道すがら
のみ紹介。


ご存知、北野天満宮。
梅干のいい香りが境内いっぱいに広がっていた。




境内の末社めぐり。
まずは、地主神社。

御祭神:天神地祇。
御神徳:招福、交通安全、諸願成就。
天満宮の創建以前からこの地に鎮座されていた神社。
主祭神の天神地祇とは、日本国内六十余国に祭られたすべての神々のこと。
現社殿は豊臣秀頼公の造営で、由緒・規模とも天満宮第一の摂社。


文子天満宮。
由緒書きより↓

天慶5年(942)7月12日に西ノ京七条二坊十三町(現在の西ノ京北町
あたり)に住んでいた多治比文子(たじひのあやこ)という童女に
右近の馬場(現在の本社の鎮座地)に天満宮を祀るようにとの神託が
あったとのこと。

後、天暦元年(947)に近江国比良宮の神主神良種(みわのよしたね)の子
の太郎丸という7歳の少年にも同じく神託がありその神託のとおり、
数千本の松が一夜にして右近の馬場に生じたので文子・良種・北野朝日寺の
僧最珍等が協力して同年6月9日に現在の場所に天満宮を建立したのが
当宮の創祀となっている。




竈社(かまどしゃ)
御祭神:庭津彦神(にわつひこのかみ)
    庭津姫神(にわつひめのかみ)
    火産霊神(ほむすびのかみ)

御神徳:台所の守り神
    家庭の守護神、火をつかさどる神。

ふーむ、台所の神様もおられるんだ。
信仰が厚いのか鈴の痛みも激しい。


東門にある手水舎。
牛さんにも苔が生えている。


北野天満宮は本殿ぐるりと彫り物がほどこしてある。
見ていてあきない。
本殿の大きな鈴の上には牛の彫り物。


金色の灯篭にも牛の模様。


屋根瓦には梅の木の装飾。


五辻通りを東へ。
大きな矢が家の軒先に。






1本南側は上七軒、北側の五辻通りも古い家がたくさんある。
箱に入った鍾馗さんもいれば、鍾馗さんではなく獅子を飾っている
家もある。


五辻殿跡。
五辻殿は,五辻南・大宮西・櫛笥末に位置した後鳥羽上皇(1180~1239)
の院御所。
後鳥羽の御所は十数カ所知られているが,これは上皇の生母七条院藤原殖子
(1157~1228)の弟坊門信清(1159~1216)が造営したものである。


少しレトロなおもちゃ屋さん。


晴明神社に参ってから、一条通りを今度は西へ。
細い昔ながらの道。






西陣京極という昔?の繁華街を歩いてみた。
お風呂屋さんも昔ながらの雰囲気。煙突もレンガ作りの超レトロ。




昼食をどこで食べようかと一条通りをぶらぶら。
お猿の自転車と懐かしい福助の足袋を発見。


いつもずらーと並んでいる「とようけ茶屋」に入ることに。
1時半を過ぎていたので、意外と簡単に入れた。
人気の割りにお値段はリーズナブル。
「とようけ丼」は少し甘めでおいしかった。
満足。

使用カメラ:CANON Power Shot G5(おひさしぶりに使用)
kodak M763
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤ちゃんとのんびりと

2009-08-29 18:05:48 | 日記
 カブで大原方面に写真を撮りに行こう
と出かけたが、途中でポツポツと。
本降りになる前に何とか帰宅。

で、宇治から娘夫婦が遊びに来るとのこと。
ほっほっほ楽しみができた。


髪の毛がかなり伸びてきた。
が、まだ薄い。
寝返りをするようになった。
らしいが、まだ見れていない。


たたいて音が出るのが楽しいらしく、
机とか床とかをとんとんしてる。
カメラをつかもうと手を伸ばす。


どアップ。
髪の毛は羽毛のようにやわらかい。

おなかがすいたとき、ねむたいとき、
かみおむつが必要なときにしかぐずらない。
のでわかりやすい。

ちょこちゃんいまもほとんどひとりで
きげんよく遊んでいる。
あぶぶ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ペーパークラフト 1/400 OLSCHIFFを作る その3

2009-08-28 19:47:22 | ペーパークラフト 1/400 OLSCHIFF
夜、30分~1時間程を船の製作時間にしている。
あせって作っても楽しくないので、ネットで実船らしきものを探して、
タンカーってこうなっているんだ。と思いながら作っている。
なので、進捗は遅い。

今回は艦橋部分を作ってみた。


パーツ10を先に接着してから1階部分を作る。
ボンドを接着箇所の床面に塗ったほうがうまくいくみたい。


2階部分。
船体側面とサイズはぴったり決まる。


3階部分。
この段階で、裏面が白く見える箇所を塗装。


4階部分。


艦橋前面壁?接着。
まるでビルが建っているように見える。
空気抵抗なんのその。




ここまでは気持ちよく製作できる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

繁昌神社へお参り

2009-08-27 20:09:52 | 神社
 高辻通りを東へとぼとぼ。
烏丸通りを越え室町通りのすぐ向こうに繁昌神社がある。
昨日は花咲稲荷、今日は繁昌と縁起のいい名前が続く。


高辻通りに面している。
烏丸通り方面を撮っているので、入り口は南向き。


繁昌神社。
御所祭神:田心(たぎり)姫命
     瑞津(たきつ)姫命
     市杵(いちき)島姫命の三女神。

ご利益:悪縁消滅・商売繁盛・良縁成就

境内にある由緒書きより↓

商売繁盛と良縁成就の社
繁昌神社の由来
清和天皇の代(在位858年から876年)、藤原繁成と言う人の邸宅の庭に
功徳池(くどくいけ)と言う池がありました。延喜年間(901~922)、
その中島に安芸の宮島より三神を勧請したのが、当社の始まりです。
その後、当社は、真言宗のお寺さんが管理されて、功徳院と呼ばれました。
明治政府が神仏分離した後、今日に至ります。
全国で唯一、「商売繁盛」の繁昌神社です。
商売繁盛、家内安全、諸芸成就、良縁成就のご利益があるとされています。
どうぞ、お参り下さい。


額の文字がいい感じ。


普通は鈴緒の一番上に鈴がついているのに、ここの鈴は目の高さについて
いる。
鳴らしやすい。


本殿にある提灯に桃の絵。


本殿の屋根瓦にも桃のマーク。
そういえば、晴明神社に厄除け桃があったのを思い出した。


商売繁昌の根付。
商売なのでそろばんのこまが使われている。


手水舎はなかった。
この手水石にも水は流れていない。

・・・・・

この神社の名前の由来となった班女塚を見るのを忘れてしもた。
戻ろうかと思ったが、出勤時間に間に合わないのであきらめた。
また今度。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする