今朝カブで河原町通りを走っていて、二条通を少し渡ったところで右折しようと、手前から右車線に入ろうとしたが入るタイミングが無い。
いつもはそんなに混雑もしていないのに。
左車線は左折のウィンカーを点けている車が多い。
いつもはそんなに左折する車はないのに。
ふと、左側に目をやると「菊野大明神」の看板が見えた。
「いつも新京極のお寺さんばかりお参りしないで、ちょいとこちらもお参りしなさいよ」と言われているような気がした。
「はい、わかりました。カブを駐輪場に置いてから、歩いてお参りしますね」と返事しておいた。
駐輪場からはすぐのところにあるが、会社とは反対の方向。
河原町通りに出て、二条交差点を渡ると北側に看板が見える。
正式には法雲寺さん。清水山洗心院と号し、浄土宗に属している。
京都観光NaviさんのHPより↓
この地は、関白太政大臣藤原兼家が、その邸宅二條第を正暦元年(990)寺に改めて創立した法興院の旧地である。
その後、しばしば火災にあって平安末期以来伽藍は廃絶していたが、旧第の池水のあとと思われる清泉のみが残っていた。
永禄10年(1567)源蓮社清善上人がこの泉のほとりに草庵をむすび、元和元年(1615)に清久上人がこのあとに堂宇を建立したのが当寺のおこりと伝えている。
本堂は文化15年(1818)に再建されたもので、本尊阿弥陀如来像を安置している。
庫裡の東に「菊野大明神」が祀られている。良縁は結び、悪縁は切るという縁切り祈願の神として民間信仰の特異な存在である。
本尊阿弥陀如来像さんにお参りしてから、庫裡に向うことにした。
菊野大明神さんへお参りするには、住職さんがおられる建物の中を通り抜ける。
誰もおられなかったが、「おはようございます」と挨拶だけしておいた。
くぐった左手に清め水がある。
菊野大明神さんの庫裡。
中は暗い。神秘的なほど暗い。
庫裡の中央に菊野大明神さんがおられる。
菊野尊天と書かれている。
庫裡の中には絵札のようなものがあったが、暗くて読めなかった。
というより、
何かおどろおどろしていたので読まないようにしていたのかも知れない。
一種独特の雰囲気を感じるところである。
朝お参りしても、庫裡に入ると真夜中のような気分になり、神秘的なものも味あわせてくれる。
いつもはそんなに混雑もしていないのに。
左車線は左折のウィンカーを点けている車が多い。
いつもはそんなに左折する車はないのに。
ふと、左側に目をやると「菊野大明神」の看板が見えた。
「いつも新京極のお寺さんばかりお参りしないで、ちょいとこちらもお参りしなさいよ」と言われているような気がした。
「はい、わかりました。カブを駐輪場に置いてから、歩いてお参りしますね」と返事しておいた。
駐輪場からはすぐのところにあるが、会社とは反対の方向。
河原町通りに出て、二条交差点を渡ると北側に看板が見える。
正式には法雲寺さん。清水山洗心院と号し、浄土宗に属している。
京都観光NaviさんのHPより↓
この地は、関白太政大臣藤原兼家が、その邸宅二條第を正暦元年(990)寺に改めて創立した法興院の旧地である。
その後、しばしば火災にあって平安末期以来伽藍は廃絶していたが、旧第の池水のあとと思われる清泉のみが残っていた。
永禄10年(1567)源蓮社清善上人がこの泉のほとりに草庵をむすび、元和元年(1615)に清久上人がこのあとに堂宇を建立したのが当寺のおこりと伝えている。
本堂は文化15年(1818)に再建されたもので、本尊阿弥陀如来像を安置している。
庫裡の東に「菊野大明神」が祀られている。良縁は結び、悪縁は切るという縁切り祈願の神として民間信仰の特異な存在である。
本尊阿弥陀如来像さんにお参りしてから、庫裡に向うことにした。
菊野大明神さんへお参りするには、住職さんがおられる建物の中を通り抜ける。
誰もおられなかったが、「おはようございます」と挨拶だけしておいた。
くぐった左手に清め水がある。
菊野大明神さんの庫裡。
中は暗い。神秘的なほど暗い。
庫裡の中央に菊野大明神さんがおられる。
菊野尊天と書かれている。
庫裡の中には絵札のようなものがあったが、暗くて読めなかった。
というより、
何かおどろおどろしていたので読まないようにしていたのかも知れない。
一種独特の雰囲気を感じるところである。
朝お参りしても、庫裡に入ると真夜中のような気分になり、神秘的なものも味あわせてくれる。