白老の自然情報

☆北海道にある白老町の自然情報を写真でお届けします。&私の”知る楽しみ”にお付合い下さい。☆

一回繁殖型植物 オオウバユリ(大姥百合)

2012-07-30 10:06:10 | 植物(草本)の観察

7/14 ウヨロ川フットパスの右岸コースでオオウバユリが咲き始めていました。

     オオウバユリ(大姥百合) ユリ科ウバユリ属  一回繁殖型の多年草 

■分 布:北海道 本州(中部地方以北) やや湿り気のある林内、林縁に自生する。谷に当たる部分や傾斜地の下の部分に生えている所で良く見る。肥沃な土地に多いようだ。

■和名の由来:花の盛りの頃に既に下の葉(歯)がとれかかることから姥に見立てた。(牧野日本植物圖鑑) 実際は開花時には立派に葉がある。

■生活史:

①種からの繁殖  春に種から芽を出し、始めは一枚葉で1年を過ごし2年目、3年目と葉を増やし大きくなる。6~8年が過ぎた頃、150-200cmにも茎を伸ばし、蕾を作り、一生に一度だけ開花し、一つの実に600個弱の種を作り、枯れて一生を終える。この時、地上部だけでなく百合根(鱗茎)も姿を消す。子孫を残すため、7年ほどもかけて鱗茎に蓄えた栄養を花茎・花・果実に使い一生を終える。

②娘鱗茎(栄養繁殖体・ラメット)からの繁殖  枯れた球根には幾つかの娘鱗茎(百合根の子供達)と呼ばれるものが付いていて、種とは別に成長を始め、3年ほどで花を咲かせる個体となる。種子からよりも早く大きく成長する。

オオウバユリは、現在の生育場所が変化し、生育出来ない事態が発生する事に対応するため、150-200cmも花茎を伸ばして、種を風で遠くへ飛ばして新たな生育地を求める。一方、娘鱗茎によりその場所に種よりも素早く子孫を残すという生残り戦略を持っているのではないだろうか?

②群生するオオウバユリ  2004/07/18 萩の里自然公園のこの群生地は2004年9月の台風で環境が変化した為か消滅しました。

③秋には沢山種をつくる。2007/10/25 萩の里自然公園

 3つの裂開した果実。さらに2つの部屋に区切られ一つの部屋に100個弱の種子が入っている。一度に飛ばないようにするためか、強い風の時遠くへ飛ぶようにするためかブラシ状のもので支えている。

④多くの種子をつくっても、遠くへ飛ばすのはなかなか難しいようだ。2009/04/07 ポロト自然休養林

 

⑤枯れた茎枯れた茎や空の果(さくか)は、ドライフラワーとして生け花等に利用される。2004/11/09 萩の里自然公園

 

■写真で見るオオウバユリの成長

植物生活史図鑑河野昭 監修)を頼りに観察しました。河野先生は、ビオトープ・イタンキin室蘭の10周年記念で「花に魅せられ60年」と題して講演されました。

高校生時代に湿原の植物を観察されたというヨコスト湿原にも立ち寄られました。

①推定1年目   2010/05/05 萩の里自然公園

②推定2年目  2008/04/22 萩の里自然公園

③推定3年目  2008/05/26 萩の里自然公園

④推定4年目  2007/05/14 萩の里自然公園

⑤推定5年目  2008/05/26 竹浦砂利採取予定地

⑥推定6年目  2008/05/26 竹浦砂利採取予定地

⑥推定7年目  今年開花するもの 2008/05/01 萩の里自然公園

⑦推定7年目  今年開花するもの 2008/05/26 竹浦砂利採取場予定地 これには既に娘鱗茎ができていた。

⑧昨年開花して枯れた株から顔をだした娘鱗茎 2008/04/16 萩の里自然公園 複数あるものもある。

⑨昨年開花し種を結ぶために貯蔵物質を消耗し尽した母鱗茎と、娘鱗茎から成長する子孫 種か育った5年目ほどの大きさのようだ。遺伝的には親と同一ではあるが、子孫を残す上では極めて効果的だという。2008/05/26 竹浦砂利採取場予定地

 

⑩7月中旬から8月にかけて、見事な花を5~15咲かせる。2004/07/18 萩の里自然公園

 

■アイヌ民族によるオオウバユリ(トウレプ)の利用 

財団法人 アイヌ文化振興・研究機構    手稲さと川探検隊 交流サイト

アイヌ民族は、花が咲く一年前の物を採取したようだ。今年花が咲くものを採らずに残す事で、オオウバユリという資源を持続可能に利用したということなのだろう。

■オオウバユリは、ギョウジキャニンニクともに”食料の背骨”といわれた重要な植物だという。

平取町内に伝わる薬用植物」 (貝澤美和子氏) から一部を抜粋

  トゥレプ(オオウバユリ)はユリ科の多年草です。私たちがオスと言っているのは背の高い花の咲く株です。それを中心にデンプンが採れるメスと言われる株が何本かあります。アイヌの人達は、プクサ(ギョウジヤニンニク)とトウレプを、ハル・イッケウ(食料の背骨<中心になるもの>)といい、重要な植物と考えていました。栄養的にも炭水化物を主成分として大切なエネルギー源となる植物でした。昔は、6月中頃、家族中で2~3日かけてトウレプを採って澱粉を作っていたそうです。……昔は全町の山に分布していましたが、第二次世界大戦の戦中、戦後にかけての食糧難のときに、採りつくされて、一時はすっかり見えなくなってしまいました。それは、アイヌばかりではなく、アイヌに食べ方を教えてもらった近所の和人達もオオウバユリを採りに山へ行ったからでした。昭和30年代になって、平取本町に澱粉工場が建てられると、澱粉も手に入りやすくなりました。手間のかかるトウレプは次第に忘れられると同時に、幸いなことに山では、その植生は回復していきました。しかし現在は、鹿が花の茎だけを食べるので、増えすぎた鹿のために再び減りつつあります。これからはこの食用にも薬用にもなるトウレプを利用するとともに栽培保護も考えなければならないと思っています。

 萩の里自然公園の駐車場からセンターハウスの間では、蕾を展開した株がある。セゾシカに食べられずに此処まで生延びたこの株は近日中に開花するかもしれない。2012/07/28

7/30 見事に食べられてしまいました。

 エゾシカとオオウバユリについては、カテゴリ[エゾシカの観察]に後程掲載します。

 

 

コメント (3)
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