安倍晋三の言う積極的平和主義ご存知ですか?私は不勉強で知らなかった。
「自発的に隷従」しないために、安倍晋三の言う「積極的平和主義」と、安倍晋三が好んで使う「世界の常識」の「積極的平和」について調べてみました。
少し長いですがお付き合い願いたいと思います。
消極的平和主義と積極的平和主義(ネパール評論 Nepal Review) から
2.消極的平和の定義
消極的平和は,近代の基本的な平和概念であり,これは「力のバランス(balance of power)」によって実現されると考えられていた。だから,平和(戦争のない状態)の実現には,「力」(中心は軍事力)が不可欠であり,常に相手をにらみながら軍事力を増強することが求められた。この消極的平和は現在でも根強く支持されており,日本の歴代政府も基本的にはこの立場をとってきた。安倍内閣もそれを継承したが,従来の慎重に限定された自衛隊の役割には満足できず,その制限を一気に取り払う政策へと大きく方向転換した。軍隊の抑止力による平和(消極的平和)が前面に打ち出され,憲法解釈変更による集団的自衛権行使の承認や憲法9条の改正,あるいは日米安保の強化が強く唱えられるようになったのは,そのためである。国際常識から見ると,このような安倍首相の平和政策は,まちがいなく「消極的平和主義」である。
3.積極的平和の定義
これに対し,積極的平和(positive peace)は,第二次世界大戦終結前後から注目されはじめ,ガルトゥングらの努力により,冷戦終結後,急速に有力になってきた平和の考え方である。
積極的平和は,単に戦争のない状態,つまり消極的平和は真の平和ではないと考える。たとえ戦争が無くても,社会に貧困,差別,人権侵害などの構造的暴力があれば,あるいは日本国憲法の文言で言うならば「専制と隷従,圧迫と偏狭」などがあれば,その社会は平和とはいえない。構造的暴力は紛争原因となり,紛争は戦争をも引き起こす。だから真の平和は,構造的暴力が存在せず,人々が基本的人権を享受しうるような積極的(positive)な状態でなければならないのである。
この積極的平和の実現には,軍隊はほとんど役に立たない。構造的暴力は,非軍事的な人間開発*によってはじめて効果的に除去できる。消極的平和が軍事的手段によって「戦争のない状態」の実現を目指すのに対し,積極的平和は平和的・非軍事的手段によって「戦争原因のない積極的平和」の実現を目指すのである。
*「人が自己の可能性を十分に発展させ、自分の必要とする生産的・創造的な人生を築くことができるような環境を整備すること。そのためには、人々が健康で長生きをし、必要な知識を獲得し、適正な生活水準を保つための所得を確保し、地域社会において活動に参加することが必要であるとする。パキスタンの経済学者マプープル=ハクが提唱した概念(デジタル大辞泉)」。国際社会ではUNDPが中心になって人間開発に取り組んでいる。
安倍晋三の言う「積極的平和主義」とは?
以上が,平和の二概念に関する国際社会の常識である。だから,私も,当然,安倍首相がこの国際常識に従って「積極的平和」を唱えたものと思っていた。ところが,驚いたことに,実際には,そうではなかった。安倍首相は,消極的平和への貢献を積極的平和主義と呼び換え,そのための軍事的貢献を国際社会に約束したのである。
中略
現在の日本国憲法解釈では,国連PKO派遣自衛隊は,隣の派遣外国軍が攻撃されても助けられない。また,日本近海の米艦が攻撃されても,自衛隊の艦船は米艦を助けられない。これは”proactive”ではない。だから「日本は,地域の,そして世界の平和と安定に,今までにもましてより積極的に(proactively),貢献していく国になります」。つまり,平たく言えば,憲法は集団的自衛権行使を禁止しているというこれまでの政府解釈を変更し,あるいは機を見て憲法9条を改正し,自衛隊を普通に戦える軍隊に変えることによって,自衛隊を戦う軍隊として国連PKOや多国籍軍,あるいは日米共同軍事作戦に参加させるということである。
これは,いうまでもなく軍事力による平和貢献であり,目指されている平和は,結局,「消極的平和」ということになる。消極的平和への”proactive(積極的)”な貢献である。
ところが,日本国内向けの日本語版になると,安倍首相はもっぱら「積極的平和主義」を唱えたということになり,これだけでは従来一般的に使用されてきた「積極的平和(positive peace)」と見分けがつかない。実に紛らわしい。というよりもむしろ,意図的に紛らわしい用語を用い,積極的平和を支持してきた多くの人々を惑わせ,取り込むことをひそかに狙っているように思われる。
日本国憲法と積極的平和への貢献義務
平和的・非軍事的・非暴力的手段による平和貢献と,軍事的手段による平和貢献は,原理的に全く異なる。日本国憲法が規定しているのは,いうまでもなく非軍事的手段による積極的平和への貢献である。
※「積極的平和」を提唱してきたガルトゥング氏の日本への提言
まとめと提言
まとめに入ろう。日本は今や、同盟関係の深化による米国との連帯関係と同時に、東アジア共同体に対する敵対関係にあるという袋小路に入ってしまった。そのことが、ハードな意思決定を日本が行うことを困難にしている。そこには、堕落した古いエリート層と集団として未形成の新しい声との対立がある。日本が経験した6つの変革は全く驚くべきものだ。しかしそれらは依然として未完の改革である。日本は、戦争を放棄し反戦をうたう憲法9 条に固執する一方で、自衛隊という世界でも有数の軍事力を持つに至った。今や日本は、経済力よりも軍事力で世界に冠たる国になった。自衛隊というこの巨大な構築物を、より有用な目的に転換させる可能性はあるのだろうか。自衛隊に関する私の結論はこうである――自衛隊を日本の発展(development)のために。すなわち、災害救助に関していえば、北朝鮮や中国との協力のために、自衛隊を開く。非暴力平和隊に関しても同じである。留意すべきは、もしある国で変化が必要であっても、その基本的な仕事はその国のピ
ープル自身が行わなければならない、ということだ。また、もし国家間の平和が作られなければならないとしても、それはそれを構成する諸国民自身の主導で行われなければならない、ということである。 最後に、憲法9 条に付け加えるという提案をもって締めくくることにしよう。日本国民は、軍事力の行使はこれを放棄する。しかし、日本と深い関わりのある国々との、そして他の国々や諸グループとの調停・和解・平和構築に関与する義務はこれを行使する、ということがそれである。