白老の自然情報

☆北海道にある白老町の自然情報を写真でお届けします。&私の”知る楽しみ”にお付合い下さい。☆

登別漁港の白老のアフンルパロはどうなる? 続き2

2009-04-15 13:19:16 | 団塊ジジイの寝言
調べながら書き、書きながら考えることを繰り返す方法で、過去に何回かこの件について書いてきました。

最近の2回↓はこちら。
http://blog.goo.ne.jp/shiroikumo_2004/e/283a6d2779c5e93f159e1df5c81a3366

http://blog.goo.ne.jp/shiroikumo_2004/e/c131b8ab891a41a4c32705ab4e839fd4

現時点での、和人の一人の町民の個人的な意見を述べたいと思います。

「かつてのアフンルパロ」についてのリンクが切れてしまいましたので、ここにすべてを書くことは出来ません。苫小牧民報の記事の一部を引用させていただきます。

“「高田さんも「1950年代まで、満潮になれば磯舟でも入れた。この付近は昆布、はたはたの多い良い漁場であった」(『白老ペン』第21号)と記す。”

これが砂に埋もれそうになったのは、防波堤の建設という人為的なこともあるのかもしれませんが、自然の成せることでもあろうと思います。

ですから、1950年当時にまで戻す必要は無いのではないかと思いますし、仮に戻したとしても、再び砂に埋もれることになるだろうと思います。

アイヌのアフンルパロ伝承を案内標識などで紹介したときに、当時を偲ぶことができる範囲に戻れば良いのではないかと思います。「当時を偲ぶことができる」は抽象的ですが、アイヌの人々・漁業関係者・関係自治体・教育委員会・事業実施者など関係者が十分話し合って、お互いが譲歩しあいそれぞれが納得できる状態が良いのではないかと思います。(2009/03/25の状態からであれば、砂丘をうまく利用すれば少ないお金で十分可能ではないかと素人ながら考えます。)

この様な過程経ることにより、このアフンルパロが、「アイヌと和人の和解と共生の白老・登別での始まりの象徴としての名勝」になることを望みます。

アイヌ文化振興・研究推進機構
アイヌ民族の歴史

先住民族の権利宣言を国内で真に実現するには、国から個人までの様々な段階でこの様なプロセスを経てはじめてなされるのではないかと勝手に思っています。

白老町アイヌ施策基本方針

首相官邸
アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会

世界先住民族ネットワークAINU


世界先住民族ネットワークAINU 札幌で25日発足/北海道新聞


多分、団塊世代はいつまでもたっても「青臭い」と思われる方もいらっしゃる事でしょう。でも青臭さが必要になることもあるのではないかと思います。

万が一にも私が書いたことが、そのための何らかの妨げになるのであれば、直ちに削除致します。ご連絡下さい。

どこかの政党の誰かさんのようなことはしません。

しばらく成り行きを見守りたいと思います。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 登別漁港の白老のアフンルパ... | トップ | 萩の里でウグイス初鳴き »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

団塊ジジイの寝言」カテゴリの最新記事