ハエを追い払いながら美味しい昼食の後、
ピマーイ遺跡の見学です。
クメールの遺跡、
ピマーイ遺跡はナコン・ラーチャシマー(コラート)から
東へ約60kmのところにあります。ヒンドゥー教寺院
として12世紀に建設され、かつてはクメール人が
治めるアンコール帝国の領土であったようです。
(後に、アンコール帝国の皇帝ジャヤヴァルマン7世に
よって、仏教寺院に改装されたそうです)
荒れ果てていた遺跡をフランス政府の援助のもと
タイ考古芸術局により1964年から1969年に
かけて修復され、その後その他の周辺遺跡も修復
作業が行われ1989年「ピマーイ歴史公園」として開園した。
修復前の遺跡

遺跡公園は、かつての寺院の中心部のみとなりますが、
外壁は、南北1020m、東西580mにもなります。
規模から見て、アンコール帝国の首都に次ぐ重要拠点
だったと言われています。
(以上ネットやパンフレットからの書き込みです)

2)サバン・ナカラート(竜王橋) 3)塔門と周壁
4)参道 5)経蔵跡 6)溜池 7)回廊
8)中央祠堂(プラサート・ピマーイ) 9)ホ・ブラム
10)プラン・ヒン・デーン 11)プラン・ブラマタット
小学生の子供たちが遺跡の門前にいた。 竜王橋↓

塔門入口。日差しがきついので日傘を指す。
奥行があり、遠くに寺院が見える。

参道から寺院を望む

寺院の塔

プラン・ヒン・デーン プラン・ブラマタット

ガイドのサナンさんが説明してくれる。

バラバラに崩れ果てていた塔の修復は大変なこと
だったでしょう。嵌め込みがズレていたりしている。

プラサート・ピマーイの内部には、写真のように
修行するシッダールタの像が安置されている。
これはレプリカで、本物はピマーイ国立博物館に
あるとの事。1181年から1220年まで治めていた
ジャヤヴァルマン(Jayavarman)王の時代に
作られたようです。(ネットより)

寺院をバックに記念撮影

遺跡公園内はきれいに整備され、
お花もたくさん咲いていました。

お天気も良く観光客もほとんどいない静かな
ピマーイ遺跡でした。
ピマーイ遺跡の見学です。
クメールの遺跡、
ピマーイ遺跡はナコン・ラーチャシマー(コラート)から
東へ約60kmのところにあります。ヒンドゥー教寺院
として12世紀に建設され、かつてはクメール人が
治めるアンコール帝国の領土であったようです。
(後に、アンコール帝国の皇帝ジャヤヴァルマン7世に
よって、仏教寺院に改装されたそうです)
荒れ果てていた遺跡をフランス政府の援助のもと
タイ考古芸術局により1964年から1969年に
かけて修復され、その後その他の周辺遺跡も修復
作業が行われ1989年「ピマーイ歴史公園」として開園した。
修復前の遺跡

遺跡公園は、かつての寺院の中心部のみとなりますが、
外壁は、南北1020m、東西580mにもなります。
規模から見て、アンコール帝国の首都に次ぐ重要拠点
だったと言われています。
(以上ネットやパンフレットからの書き込みです)

2)サバン・ナカラート(竜王橋) 3)塔門と周壁
4)参道 5)経蔵跡 6)溜池 7)回廊
8)中央祠堂(プラサート・ピマーイ) 9)ホ・ブラム
10)プラン・ヒン・デーン 11)プラン・ブラマタット
小学生の子供たちが遺跡の門前にいた。 竜王橋↓


塔門入口。日差しがきついので日傘を指す。
奥行があり、遠くに寺院が見える。


参道から寺院を望む


寺院の塔

プラン・ヒン・デーン プラン・ブラマタット


ガイドのサナンさんが説明してくれる。

バラバラに崩れ果てていた塔の修復は大変なこと
だったでしょう。嵌め込みがズレていたりしている。


プラサート・ピマーイの内部には、写真のように
修行するシッダールタの像が安置されている。
これはレプリカで、本物はピマーイ国立博物館に
あるとの事。1181年から1220年まで治めていた
ジャヤヴァルマン(Jayavarman)王の時代に
作られたようです。(ネットより)


寺院をバックに記念撮影

遺跡公園内はきれいに整備され、
お花もたくさん咲いていました。


お天気も良く観光客もほとんどいない静かな
ピマーイ遺跡でした。