昨日は地上に断層が表出した震災遺構の場所を歩いたが、この他にも断層沿いには何カ所かある。
ただ震災遺構のある地域は、どこも長閑な風景が広がっている。
(堂園地区)
クランク状に畦が曲がった断層は前方の田んぼの続きだが、見渡せば梅の花の咲くノンビリした風景が広がっている。
前方の山の麓沿いに布田川断層は続いている。
この辺りは地震直後は、各研究機関がボーリング調査などを頻繁に行った場所。
(杉堂地区)
山懐に抱かれたような集落があって、その最深部に潮井神社がある。
神社に至る道路脇には芝桜の花が沢山咲いていた。
地域の人達が、手入れをしているのだろう。
(潮井神社の下の池)
もっと沢山の湧水があって、池も深かったのだが地震の後水脈が絶たれて一時干上がってしまった。
半年後くらいから水が湧くようになったが、元の状態よりかなり水量は少ない。
時期的に水量の少ない時なのかも知れない。
(布田川)
神社の脇を流れていて、この上流は阿蘇の西原村に続いている。
(徳富蘇峰の生家)
明治・大正・昭和の言論人として活躍した徳富蘇峰は、母久子の生家(矢嶋家)で、生まれている。
徳富蘇峰・徳冨蘆花の兄弟の母親の実家である矢嶋家は、母を含めた四姉妹の生き方が異彩を放っている。
いまも熊本の四賢婦人として顕彰され、記念館は地震で被災したため潮井神社の手前の広場に再建されている。
山懐に抱かれたような長閑な集落にも、道路の復旧や新築の家々の建設の槌音が響く。
それがなかったら、5年前の地震は嘘のように思えてしまう。
本当の静けさは、もう少し後のことになりそうだ。
「災害の賞味期限は直ぐ切れる」・・・しろ猫