町から、二本の川と田んぼを挟んで南側には、里山が続いている。
山麓沿いにはいくつかの集落が山際にへばりつくように連なっている。
その一つに、赤井という水に恵まれたの集落がある。
ちなみみ、我が家の米はこの集落の農家から頂いている。
(船野山麓の集落付近)
左のなだらかな山が船野山で、右が赤井火口丘跡で赤井城趾である。
ここが旧火口跡だとは、町の広報誌で最近知った。
(赤井火口跡付近)
町の広報誌の紹介記事や、赤井の史跡を歩くというパンフレットには、火口のあった場所が〇で囲ってある。
右手の道路を挟んで直径500mほどの大きさの火口だったらしい。
阿蘇山の4次に亘る大噴火と前後して、15万年前くらいに噴火した小規模な火山だという。
阿蘇の米塚、伊豆の大室山、萩の笠山などと同じ円錐台形。
噴出した溶岩や、阿蘇の火砕流などが複雑に絡み合って、地下ダムが出来伏流水が自噴する。
ここから下流の「砥川溶岩層」に貯えられた水を含む、広大な地下ダムによって、熊本市および近郊の上水道は100%賄われている。
と、まあ、しばらく前に放送された「ぶらダモリ」という番組で、聞いたことの受け売りを偉そうに・・。
ただ、阿蘇の噴火や火砕流に地下ダムは一般的に知られているが、赤井火口の話は県民でも知るものは殆どいないかも。
火口丘の跡に、お城(赤井城)が築かれ、その跡地に今は神社が建っている。
(溶岩台地)
こんもりした丘の殆どは溶岩なので、彼方こちらに露出している。
(赤い畑)
台上は一部畑として利用されているが、グラウンドのアンツーカーを粉のまま散らしたよう。
見るからに水はけは良さそう。
ただ畑の横には、溶岩の塊がゴロリと無造作に転がり、マルチシートの端を押さえるのにも活用されていた。
下の集落と、その向こうの田んぼ一帯は、もう阿蘇の火砕流の影響を受けて溶岩は覆い隠されてしまい、普通の田んぼになっている。
(拾ってきた溶岩の欠片)
小さな溶岩の欠片を、田んぼの畦道から拾ってきた。
匂いをかいでみたら、15万年前の火山の噴火の匂いがした・・・というのは嘘。
なんの匂いも音沙汰もなかった。
子供の頃に、阿蘇の溶岩の欠片で友達の髪の毛を引っ張る悪戯が流行ったことがある。
細かい穴が無数に開いていて、その中に髪の毛が入ったところを引っ張る馬鹿馬鹿しい遊び。
拾ってきた溶岩で試してみたが、まったく毛が引っかからなかった。
穴はブツブツ開いているが、浅いので髪が中に入らない。
ロマン溢れる地球のドラマに、子供の頃の悪戯を思い出して試してみるのも如何なものかと。
自然と、人が手を加えた里山や麓の風景がなかなかいい。
怪しまれない程度に、里山巡りをするのも悪くないかも知れない。
「見る方が正面となる里の山」・・・しろ猫