昨日の句会のあと、帰りに阿蘇方向の空に煙がたなびいていた。
噴煙にしては色が少々黒いし雲とも少し違う。
多分阿蘇の今頃の風物詩、野焼きだろうと推察する。
野焼きの現場を見てみたいと思って、今日は阿蘇に出掛けた。
(道の駅:阿蘇望の里)
南阿蘇村にある道の駅「阿蘇望の里」で、阿蘇を望みながら昼食を・・。
レストランの窓から阿蘇の山々を眺めていたら、100m程先の畑に見えるシルエットに気がついた。
食後に、芝生の広場を歩いて確かめてみた。
50mほど手前までしか近寄れなかったので、材質は判らない。
仔牛、ニワトリ、犬などの動物や、親子の姿などがシルエット風に立てられていた。
さて、昼食後は草千里を経由して北外輪の野焼きを見る予定で登山道を登った。
(南阿蘇村)
昼食時に見上げた、山の方から反対に阿蘇望の里のある南阿蘇を見下ろしてみる。
この辺りは予定通りの行動だったのだが、南登山ルートのトンネルの入り口の手前に「通行止」の標識が・・。
阿蘇の噴火活動がやや活発になり、警報が出ていたのは知っていたが草千里までは通行可能と思っていた。
仕方がないので、一旦南阿蘇方向に今来た道を戻り325号線沿いに立野方向に迂回した。
国道57号線沿いに進み、阿蘇市の方からの登山道を登った。
途中に「草千里まで通行可」と書いた標識を何度か見かけた。
(野焼きで黒くなった山肌と根子岳・高岳を望む)
ほぼ見渡す限りの山肌は、野焼きが完了した状態になっていた。
日頃は放牧された牛や馬を沢山見かけるが、野焼きが為されていない一角で牛を見かけた他はまったく見えなかった。
野焼きの期間中は、退避させられているのだろう。
(野焼きが終わった草千里)
草千里の野焼きはニュースでも流れたので知っていた。
前方の烏帽子岳は、黒く見えるがまさか野焼きはしないだろう。
多分植生が黒く見えているのだと思う。
(噴煙を上げる阿蘇中岳火口)
火口の北側や西側の雪のような白い部分は、小規模な火砕流の跡である。
手前の黒い部分は、野焼きをされた跡で、もうすっかり野焼きは終わってしまったのだろうか。
昨日の野焼きの煙は、日曜日でボランティアの集まり易い日だったので、一気に進められたのだろう。
次の日曜が狙い目かも知れないが、柳誌の編集があるので今年は諦めるしかない。
以前は、野焼きのシーズンになると、往生岳の中腹と内牧温泉の近くの小山に「火」という文字が火で描かれていた。
京都の五山の送り火ならぬ、阿蘇の「火文字焼き」と称していた。
往生岳の「火」文字と手前の小山の「火」文字が、内牧温泉や北外輪の展望所付近から見ると二つの「火」が重なって「炎」という字に見えた。
地震以降は中断してしまった。
復活もあり得るが、コロナが待ったをかけている。
「時走る阿蘇路の春は火も走る」・・・しろ猫