6年前の今日、夜中の9時半前に当地で震度7の地震(前震)があった。
相方は、隣県に住む長女のお産の手伝いで3月末頃から出掛けていて留守。
ブログの方も、当日はまだノンビリした内容をUPしている。
花が咲いたとか、若葉の緑が綺麗だとか・・。
まったく、今日の今と同じ状況である。
さて、今の状況は・・。
(満開の君子蘭)
地震の後は、靴箱の上の定位置から靴箱と共に玄関に転げ落ちた。
(満開のニワセキショウ)
地震の頃は、この場所は菊とチューリップの定位置だったが、全てこの花に駆逐されてしまった。
(ツツジ)
前震の時は、この状態だったが本震では隣家から崩落してきた瓦の下に埋もれてしまった。
(若葉のモミジ)
ここまでが、地震前からあった草木で、これ以降は地震後に植えたもの。
(ボサクランボ)
(満開のブルーベリー)
一部草木の入れ替わりはあったものの、基本的には同じように芽吹き、同じように花が咲いている。
夜の震度7の前震では、食器棚が倒れ本棚の本が散乱した他は、さほどの被害は無かった。
停電も無く、電話は通じるしテレビも地震の情報を伝え続けていた。
翌朝テレビのニュース番組の電話インタビューを受け、気丈なふりをして応答などしたものだった。
ただ、余震が予想される状況であったので、電子レンジ・電気釜その他あらゆるものを床の上に水平展開して置いた。
テレビやパソコンの前には布団や座布団を置いていた。
結果的に本震では、テレビもPCも家具も予定通りクッションの上に倒れ込み被害は一つも無かった。
が、しかし、停電や一ヶ月以上の断水・車中泊・家の補修等は、この後の生活の様相を一変させた。
二度の震度7というが、最初の前震の震度7で我が町の震度計は壊れてしまい、二度目の本震は隣の熊本市の震度を参考にしている。
個人的には、二度目の方が圧倒的に揺れが激しく、もし震度8というものがあるのなら前震と本震の差はそのくらいは有った。
しかし、まあとにかく、6年前の今の時点では前震という言葉さえ知らず、後は余震に供えようというくらいの気分だった。
今日のウオーキングは、久々に街中コースを当時に思いを馳せながら歩いてみた。
その心は、本震の後の事とてまた明日のこころだァ~。
「時々は家間違える震災後」・・・しろ猫
震災後1ヶ月くらい後に詠んだ、思いでの句。
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