熊本地震か6年が過ぎようとしている。
昨夜は少し雨が降ったようで、西側の駐車場にも水溜まりが見えた。
借用していた図書館の本を返しに、町の交流情報センターへ向かう。
(霞んでしまっている里山)
直ぐ近くの里山も霞んでしまっている。
地震から6年が過ぎた我が町を象徴するような空模様。
交流情報センターの玄関から入ったら、ラウンジに小さな献花台が設けられ黒い服の係りの男女や、報道機関とおぼしきテレビカメラや記者の姿が・・。
取りあえず黙礼をして、図書館へ・・。
本を返し、次に借りる本を時間をかけて探す。
出てきた時はカメラの数も少し減っていた。
別の部屋で催し物があるらしく、そちらに向かったようだ。
地震以来、いろいろなインタビューを受けたが、出来れば避けたい人達になってしまった。
(総合陸上競技場と情報交流センター・総合体育館など)
あの当時の事を考えながら、ぐるりと一周してみた。
向こうの体育館などの建物も避難所となり、このグラウンドも駐車場もすべて車中泊のため使用された。
この他の公園も、スーパーなどの駐車場も避難所となり車中泊の会場となった。
私も、震度7の前震では自宅で生活したが、流石に本震では玄関に「危険立ち入り禁止」の赤札を貼られて車中泊となった。
(本震後の我が家の前の道路)
(本震後の庭)
境界に植えていたツツジは、隣家の瓦とブロックの崩壊で見えなくなってしまった。
(再建された南側隣家と東側隣家)
瓦やブロックを撤去したあと、1~2年後にはツツジも伸び始め今は元の姿に戻った。
(元に戻った庭のツツジ)
地震直後に歩いて撮した写真は多い。
(倒壊家屋や擁壁などの倒壊で交通はままならなかった)
昨日、あの当時の現場のうち二三箇所を同じ角度から撮してみた。
(上の写真の今の状況)
この辺りの家屋はほぼ全て全壊し、更地になったあと立て替えが進んでいる。
道路は拡張工事中である。
(キャンピングカーがかわいそうだった被災直後)
(上の写真の再建後)
南側道路が4車線化の工事が行われるため、元の位置よりかなり北側にさがって再建された。
ただ、一番被害の大きかったこの地域の復興はまだまだ先になりそう。
(町営の災害復興住宅)
町の数カ所に、地域のコミュニティーを単位として建設されている。
復興住宅については、ほぼ計画通り終了している。
(町役場の臨時仮設庁舎)
役場は町の外れの畑の中に、土地を借り上げプレハブの仮設庁舎となった。
役場は、元の場所に昨年度から再建工事が始まった。
完成はあと2年後くらい・・。
(仮設住宅)
町内に数カ所あった仮設住宅も、区画整理などの進捗により自宅再建等が進み縮小集約された。
我が町と隣の村の2箇所になったが、隣村は8月迄に閉所となる予定なので、我が町だけになる。
町の中心部の区画整理や、幹線道路の4車線化の工事によって、自宅の再建に待ったをかけられた人も多い。
震災後6年を経過したが、震災後10年を経過しても仮設住宅がなくなる状況にはない。
災害の風化が言われるところだが、地震であれ水害その他の災害であれ、当該地域では風化はない。
もし有るとするなら、対岸の火事と油断した人や、日替わりメニュー式に関心の変わるマスコミ報道の風化くらいだろう。
ささやかでも、現地の状況は時々UPしたいと思う今日この頃である。
「車中泊やさしく照らす十三夜」・・・しろ猫
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