人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

神示と表徴

2022-07-14 12:02:26 | 日本的霊性
私の学生時代、所属していた教団を離れた際、ある教え、教祖を偶像化し、絶対視する愚かさ、恐ろしさを身に染みて感じ取り、それ以降事実上、如何なる特定の団体、教師とも(深い関わりというものはあったにせよ)、その関係が私に根を下ろすことは無かったのです。
その当初は自覚的ではありませんでしたが、これは私の内部に深く根付いたものであり、決定的な意味を持っていたと言えるでしょう。しかし、そこにも裏がある?
その姿なり、言葉なり形をもって表されたものは、ゼッタイに、絶対視することは出来ない!...すべては方便なのではないか?
形は依り代、形なきものの媒体なのです。これは神社によく参拝される方なら分かることでしょう。
神社には、形あるもので絶対視されるものなど何一つありません!
そういうものがあるとしたら、それこそは偶像崇拝というべきものなのです!
絶対性、正統性、優越性などを主張しているものは、”マガツ”というべきです!
真に宗教的狂信ほど、我が国本来の神の道と遠いものは無いのではありませんか?
依り代が、その見えざる神の消息を曇りなく、淀みなく伝えてこそ健全さが保たれるのです。
しかし、この道にあって、目障り、聞き障りな正統性、優越性に曇らされた見方、見立て多いのお!
ことに神示、神典などと分類されているものに...
天理教「おふでさき」、「こふき」結構!...大本教「おほもとしんゆ」、「霊界物語」結構!...「一二三神示」結構!...「要之神示」結構!...
なに?...出口聖師は“一二三”を認めていない?、出所が疑わしい、だからあれは兇党界から来ている?...そう言っている人間の人格が疑わしい!...私はもっとも出所が疑わしい「要之神示」に揺さぶられたのだが...
古代文字、数字...何の文字だか分からないが、形ある文字をもって表されたものではないか?
字句の解釈に躍起になる霊界物語の読者たち、狂信的オニサブラーたち...後を絶たない一二三予言信者たち...虚心坦懐にワニに食われよ!、ハイになれ!
型代、物型理...結構じゃなあ!
神がかく語る...これに数多の外的権威に依存する心根が寄り付く...しかし、これ程見えざる心象、神象を形象を通して伝えるものは無いではありませんか?!
神示を通して、それは思いを超えたところから言葉が出される、ということを表徴しているのでしょう。(それは文字通りと言うことでなくシンボライズされているのです。文字通りなら言葉は絶してしまうでしょう)
形あるものは、形なきものを映し出す。...その形、依り代が表すものとは?
それぞれの心で読み取って下されよ!...“これが神理、真理だ、信じ従え!“、というマガツの声に迷わされてはなりません。
(一頃、“一二三“の続編というフレコミで評判になった、“一二三伝文“や“ヒアイ神示“などは、上記の傾向が感じられ、私の気線とは合いませんでした。“何でも結構!“という訳では無いのです。これは、あくまで私の場合のことを言っているのですが...)
あなたはあなたの神にしか感応出来ないのだから...心の底から、魂から感応するということはそういうことです。そこに正しいも間違いも無い!
否、そこからズレることが間違ってるのだ!、己が魂の目が曇っているのだ!...
ミタマ磨きです!...イヤ、どうやって磨いていいか分からんがな!...
だから...あー思ったり、こー思ったりしてても、ミタマに感じなきゃ分かりません!

カカミ、伏せていては光らんぞ!、裏を返して見なされ!

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天と地が結ばれたi

2021-08-21 13:19:11 | 日本的霊性
「えびすさま あらわれいでてめにみせて ときのきたるをあかしたいかな
れいとうの まことのいのちうけひなせ みちをあゆめるこのはなのみち
このはなは てんちのなかをとりもちて このよのしんのみはしらをたつ
このはなも みのりのときとはいりたり てんちをむすぶみはしらのもと
(昭和54年1月.要之神示)
奇稲田の 姫の働き要神 天地を結ぶ要なりける
北辰の気を受けて立つ来日山 巽に向けて天日鉾千早振り 十二方に光の扇打ち開き 岩裂根裂底津磐根の神ぞ、魂振り起こすなり(昭和54年3月.要之神示)」

福の島恵比須大国打ち出の小槌鳴り出て
此花の梅香に誘われ大淀渡る千鳥橋
姫島の天日鉾の御宝明かすあかる姫
須佐鳴の神剣太刀て岩根の幕開かれん
天地の結び要なる奇稲田姫の御顕れかな

天の時、地の機、人の恩、親の恩...そしてみ魂親の恩...
あの時、あそこに居なければ、ああいうことは起こらなかったかもしれない
いや、いつどこに居ても起きていたかもしれない
たとへ、人生につらいこと、無駄と思えるようなことがあっても、そこに見えない網目のように何かが仕組まれているのかもしれない
人の世は、縁が結ぶことなしに何一つ実ることはない
見たまま、思われたままの人生だけでは、その隠された仕組みのことはわからない
思うこと、為すことだけが人生なのではない
たとへ、日蝕のように、日の光が黒雲に覆われて遮られるようなことがあっても、"もはやこれまで"と諦めてしまうようなことがあっても...
その暗闇の中に閃光一閃、見えない雷の如き光が大地を貫き、そこからそれまで全く知られていなかった、人生の秘密が開示されることもあるかもしれない...

火の雨、霊の雨...
火の柱、霊の柱...
天と地が結ばれたi
本と末が結ばれたi
み魂親が顕れたi











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祭りの本義

2021-04-12 12:16:52 | 日本的霊性
このコロナ禍により、昨年から各地の神社で例年のお祭りが中止を余儀なくされる事態が続いています。
まあ、私は元来、人がうじゃうじゃ集まるところは好きじゃないので、どっちでもよさそうなのですが、あの"ピーヒャラ、ピーヒャラ"、お囃子の音が聴かれないとなると、一抹の寂しさを覚えます。
ところでこのお祭りですが、"ワッショイ、ワッショイ"だけがそうでないのは言うまでもありません。
ちゃんとした儀礼というものがあって、あれはあくまでその余興なのです。
私は、何度か参加したことがありますが、それは勿論普通の神社でやっている"表側"の儀礼であって、所謂"神業"と言われるような、時に日常を超えたような事象も起きる、"裏側"の儀礼のことではないですよ(これにも何度か参加しました)。
ああいうのは、他の宗教と違って特定の教義に則る訳でないので、気安さというか、通常の宗教信者の意識には見られない解放感があります。
数年前の5月、浦和の氷川女体神社の祭礼に参加した時などは、特に何とも言えない和やかな雰囲気に包まれ、さらに初夏の風が実に心地良く、私の内奥にまで染み渡ってゆくようでした。
それらに誘発されたのか、いつの間にか意識が目に見えない方に向けられて...あの"じんじん"とした感覚が心身に伝わってきたのでした。
こうなると表側も裏側も、顕斎(普通の形のある儀礼)も幽斎(形の無い、見えないものとの関わりを伴った、儀礼を超えたもの)も区別がつかなくなりそうです。
そして、この表向きの集まりには、見えない共同性のようなものが内包されているようにも感じられました。
共同性、共同体的な意識というのは、単なる人間の集合体のことではありません。自己は自己でありつつ、その共同体と一如となっているような有り様のものです。
これが我が国では、古来より氏族共同体として伝わってきたものなのです。それは血縁だけに留まらない、見えないルーツである霊縁をも内包したものです。
いや、そもそもは"み霊による一致"、というものが無ければ、自己と他己、共同体との調和など生まれ得ようはずが無いのではないか?
血縁、霊縁からなる祖先伝来の神を斎祭り、そのみ霊を受けて同胞意識(これは狭義の氏族の概念を超えて、無限定に開かれてあることが暗示されている)を持って集まる、というところに祭礼の本義があるのではないか?
ここには横の同胞的つながりと、縦の歴史的、超歴史的つながりが合わさったものが隠れている...
と、いう風に書いていくと抽象的で、時代がかってきそうですが、現実には隣で何やら雑談しているオッサンは、何処の誰だか分からないのです。
ただ、そういうものを感じてしまうものが私の内には流れている、これがこの国に生まれた縁というものなのか、ということをその時に呼び覚まされた、ということなのです。
もっとも、いつもそうなるとは限らない訳で、それはみ霊の風向き次第ということなのでしょう。
すっかり春めいてきて、風が心地良くコロナのことなど忘れちゃいそうなんですけどね...。


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お上が見そなわす国

2020-06-15 10:13:14 | 日本的霊性
アメリカでは今、大規模の暴動が起きてますが、何とシアトルの辺りでは自治区が出来るとかi...もっと小さい国だったらクーデターでも起きかねない勢いです。
コロナ自粛期間中、小さな暴動騒ぎも聞かれなかった日本では一寸考えられません。
この国でクーデター、革命でも起きたら日本が日本でなくなってしまうことでしょう。
江戸から明治に変わったことは、歴史的に大きな政変でしたが、それは同じ日本の中のこと...これは言うまでもなくこの国には皇統というものが存在しているからこそなのです。
つまり、日本は"お上"が見そなわす国なのですi
天皇が統治してる訳じゃないのに、国民の意識には何となく刷り込まれているのでしょう。何か途方もないものに見られているんじゃないかと...
現政権でも、なんだかんだ言われてても、現実には独裁政治などおかしなことは実現しないのです。
ただ、不思議なのは本当の意味での主権というものが、どこにあるのかよく分からないことです。国民だとか言ったって、実態はどうなのか、そんなもん掴みどころなどありません。
あれは、大日本帝国みたいなことにならないように、ボカしてそういうことにしたのでしょう。
そう、日本の歴史の中で、その"国ぶり"が大きく歪められたのは、政府が天皇を神格化し、政治利用したその時期だったのです。
それについて戦後間もなく、一部からは"現人神"のように目されていた、出口王仁三郎師は「本当の存在を忘れ、自分らに都合のよい神社を偶像化して、国民に無理に崇拝させたことが日本を誤らせた...」とボカして発言し、自らは「余はただの人間である。神様呼ばわりは迷惑である...」と言って、天皇に先立ちさっさと人間宣言をしていたのでした。
支配欲に駆られた人間が神になろうとしたことは、我が国でも外国でも多く見られましたが、歴代の天皇は、真の見えざる主体、見えざるお上がしろしめし、見そなわす、ということを自覚されていたのでしょう。
このことは、実は人間一人一人の内なる有り様のことを示されているのではないか?
この意味で天皇は正しく国民の象徴なのかもしれません。
象徴というのは、飾られ置かれているだけとは限りません。それが象徴している実相あっての象徴なのです。
天皇は政治には介入しないことになっていますが、(本当はそれが本来の役割かと思うのですが)これからは緊急時にはお上も"モノを言う"こともあるかもしれません。
それは御自らか、(何か言いそうな)親王様か、あるいは、何かの総意みたいなものを通してか?
いや、言葉を通してのものとも限らないでしょう。
形なきもの、沈黙ほどモノを言うことはないかもしれません。
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三種の神器

2019-05-01 11:21:06 | 日本的霊性
めでたく新天皇の誕生と相成りました。
その皇位継承の儀で、三種の神器なる象徴物を受け継がれる訳ですが、これは王冠ではなく授与されるとは言わないのですね。
力で取ったり、奪ったりすることで受け継がれるものでは決してないということです。
その象徴を通じて、単なる王権とは違う、本当に一統に連ねられているものが伝わってくるようです。
三種の神器ーヤサカニの勾玉、ヤタの鏡、草薙の剣
象徴(表徴)とは、そこにその表している元があるということ、見えない、表すことの出来ないものがあるということですね。
それは、見えないものの形象なのです。
誰も実物は見たことが無い、というのは当然のことで、もし、見える形あるものとしてそこにあるのでしたら、それ自体がレプリカであるはずです。
しかし、おそれ多くも私にはそれが何を表しているかが、少なくとも垣間見えるものが、もうたちどころに心象に映ってきます。じん、じんと...
だけど、誤解しないで頂きたいのですが、あくまで私の心象に映っているまでのものであって、これが誰もが頷ける正しい解釈という訳ではないのです。
あまり、詳しくは書かないですが、これは神的なものが降りて来たら、どうしたってそういうものが心象に刻まれてしまうものなのですってi

即ちークシビなる鏡のように、すべてを照らし出す光...
そこに映し出されるクシビなる我が魂...
そこから闇を払うが如く発せられる沈黙の声、ロゴス、啓示、クシビなる言霊...
ああ、もう気が遠くなりそう...
そしてこの秘儀参入を通しておそれ多くも、神的なものと連なっている自己、神の子たることに覚まされてくるではないかi
人は神の子、神の宮...
このことを象徴(表徴)されて居る存在は、器物にあらず、私の現前に生きて在らせられているではないかi

日本は象徴が生きている国柄なのです。"国民の象徴"
一人一人が神と一体であることを象徴されて居られるのです。
象徴(表徴)とは又、見えないもの、隠されたもの、裏側にあるものが、表に、実見されるであろうことを、それ自体象徴しているのではあるまいか?
平成から令和へと、段々我々のただ中へと歩み寄ってこられるのでしょうか?
その内実されたものは、よりありやかに我々のまなかに御顕れつつあるのを覚えざるを得ません。

(これはあくまで私の主観にすぎません。誰もが頷けるものなのか、どうかはあなた次第です)
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