人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

意識とはなにか

2014-09-24 14:39:47 | 意識、照明
普段、当たり前の様に使っている言葉が、「どうやら違う意味に使われているようだ」と感じたことありませんか?
最近、「人間が意識を持つようになったのは、考えられているよりもずっと新しい時代」らしいという事をどっかで聞いたのですが、これが私にはどうも腑に落ちないのです。
この意識ってヤツのことです。
この場合、使われているのはもしかして「ああしよう、こうしよう」という意志的なハタラキの事を言ってるのでしょうか?
又「人間の意識なんてものは、行動より反応が遅いらしい」なんてこと聞いて
益々腑に落ちなくなって、「こりゃあ、アンタどう考えたってそれは意志作用のことでしょうよ!」と突っ込みたくなりました。
まあ、それだけ意識というのは分かっていない部分が大きいという事なんでしょうね。
私は長い間、意識は意志などの思考機能よりずっと深い部分で機能しているものだと当たり前の様に思ってたんですけど…
何年か前、熱中症になった事が有るのですけど、その時思考機能がマヒしてしまったのですが、自分が陥ってる状態は辛うじて自覚なされていました。
これが意識の領域でのことなんでしょ?
瞑想とかしてる人なら分かりますよね。
思考から離れる事を一生懸命されている訳ですから…それが離れたところに有るものが。
自分の立ち位置を確認しておかないと…。
意識と意志について述べましたが、これはやはりハッキリ違うものだと思います。
さっきの熱中症や深い瞑想状態の時など、思考がマヒして意識ばかりになってる状態の時、能動的な意志的なハタラキかけは出来なくなります。
(この瞑想でも、例えばどこかのチャクラの一点に集中しようとか、何回マントラを唱えようとかいう瞑想法などは意志的にハタラキかけているので
一寸違う方に行くかもしれません。念力、意念ばかりが強まるとか)
私はよく「意識をOOに向ける」などという言い方をするのですが、実際のところ何かに向けようとハタラキかけなくても、もう向いちゃっていたり
します。
それが意識的な有り様です。
これは一寸説明が難しいのですが、人はどうしても「向けよう、向けよう」とハタラキかけ努力しちゃうようです。
意識を強めようと…それで強くなるのはおそらく意念でしょう。
ではハタラキかけが出来ないとはどういうことなのか?
もしそうなったら、例えば倒れちゃうんじゃないか、と感じたら倒れるしかありません。
もし、そこに自分が考えていた以上のとてつもない世界が開かれていたら…
貴方には道は一つしかありません。
ただ「そうなってる世界」を受け入れ、委ねるだけです。

私は熱中症になった時、アリアリと有る感覚を思い出しました。
それは人生の裏側を垣間見た時のことなのでした…。

コメント
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