数年前、ある方にあの体験のことを話したら即座に「ああ、それはクンダリーニが頭頂チャクラを抜けたんですね」との答えが返ってきました。
私はそのクンダリーニなるものが如何なるものか、知識としてある程度知っておりましたが、それを聞いて正直「そんなに決めつけられるものなんだろうか?」と思いました。
第一、ヨガ瞑想とかとは無縁でしたし、何かの修行をやっていたという訳でも無く、それは予期せずに起こった事なのです。
「何やら尾てい骨辺りから、エネルギーが竜が上るが如く背筋を伝わって、やがて頭のてっぺんからシュボーッと…」
なんてことは全く身に覚えが無かったですがねえ…
そういう体の一部に感じるものでなく、全身全霊に及ぶという感じでした。
確かに熱いものは感じてましたが…というか本当にその日は朝から体中熱かった訳ですが…
(ひょっとしてそれが動かぬ証拠なんですかね?)
火山噴火の如き、確かに熱いエネルギーの急上昇とイメージされるものは有りましたが、それは物理的、肉体的なものでは有りませんでした。
私が全く腑に落ちなかったのは、その方自身が経験したという「焼きゴテを押し付けられたような、物理的にも、精神的にも及ぶそのエネルギーの上昇に伴う途端の苦しみ」のことでした。
又言う「それが頭頂チャクラに抜けると発狂の恐れがあるんです」と!
「そんなにオソロシイ事になっていたのか!ひょっとして狂っちまったのかオレは!」と自分を訝りましたが、
どうにも解せません。
私はその渦中に有った時、ずっと守られ、導かれている感じが有りましたし、アブナイとか苦しいなんて感じは全く有りませんでしたから…
これはあくまで私の推測ですが、その方に限らず、こうした事例が何故生じるのか? その多くは自己の意志、ハタラキかけを介入させた結果では
ないかと思っています。
自分の意志でクンダリーニを上昇させるべく操作しようという…
私の場合、その渦中に有った時思考機能、意志的ハタラキはロックされていたので「そうしよう」としても出来ません。
仮にそのエネルギーによって覚醒が起こるのだとしても、それは人智を超えた計らいによって起こるのであって、
自分からそれにハタラキかけるというのは、それはプロメテウスの火の様に危険なものとなるのではないでしょうか?
人智を超えた計らいに対しては、もうこれはそれに委ねる、まかせるより手立ては無いでしょう。
何時、どのタイミングでその人が恩恵に預かるかという事も、上では何もかも御存じなのではないでしょうか?
それもおまかせです。
理由も無く何だか楽しく、幸せな気持ちになった時、それは上よりの「あなたの時が来ました」という知らせなのかも知れませんね。
私はそのクンダリーニなるものが如何なるものか、知識としてある程度知っておりましたが、それを聞いて正直「そんなに決めつけられるものなんだろうか?」と思いました。
第一、ヨガ瞑想とかとは無縁でしたし、何かの修行をやっていたという訳でも無く、それは予期せずに起こった事なのです。
「何やら尾てい骨辺りから、エネルギーが竜が上るが如く背筋を伝わって、やがて頭のてっぺんからシュボーッと…」
なんてことは全く身に覚えが無かったですがねえ…
そういう体の一部に感じるものでなく、全身全霊に及ぶという感じでした。
確かに熱いものは感じてましたが…というか本当にその日は朝から体中熱かった訳ですが…
(ひょっとしてそれが動かぬ証拠なんですかね?)
火山噴火の如き、確かに熱いエネルギーの急上昇とイメージされるものは有りましたが、それは物理的、肉体的なものでは有りませんでした。
私が全く腑に落ちなかったのは、その方自身が経験したという「焼きゴテを押し付けられたような、物理的にも、精神的にも及ぶそのエネルギーの上昇に伴う途端の苦しみ」のことでした。
又言う「それが頭頂チャクラに抜けると発狂の恐れがあるんです」と!
「そんなにオソロシイ事になっていたのか!ひょっとして狂っちまったのかオレは!」と自分を訝りましたが、
どうにも解せません。
私はその渦中に有った時、ずっと守られ、導かれている感じが有りましたし、アブナイとか苦しいなんて感じは全く有りませんでしたから…
これはあくまで私の推測ですが、その方に限らず、こうした事例が何故生じるのか? その多くは自己の意志、ハタラキかけを介入させた結果では
ないかと思っています。
自分の意志でクンダリーニを上昇させるべく操作しようという…
私の場合、その渦中に有った時思考機能、意志的ハタラキはロックされていたので「そうしよう」としても出来ません。
仮にそのエネルギーによって覚醒が起こるのだとしても、それは人智を超えた計らいによって起こるのであって、
自分からそれにハタラキかけるというのは、それはプロメテウスの火の様に危険なものとなるのではないでしょうか?
人智を超えた計らいに対しては、もうこれはそれに委ねる、まかせるより手立ては無いでしょう。
何時、どのタイミングでその人が恩恵に預かるかという事も、上では何もかも御存じなのではないでしょうか?
それもおまかせです。
理由も無く何だか楽しく、幸せな気持ちになった時、それは上よりの「あなたの時が来ました」という知らせなのかも知れませんね。