又々、懲りずに某坂道系の楽曲からお題を拝借しちゃいました。
例によって書く内容は、その歌詞とは直接関係ないのですが、このフレーズには何だか魂が揺さぶられるのを感じてなりません。
“絶望の一秒前、星は微かに光り、漆黒の闇が来るよ...“
“ああ...もう絶望だ!“...何に絶望するのかはともかく、絶望だと思っているうちは、本当に絶望の状態になっている訳ではないでしょう?
絶望とは望みがすべて絶たれてしまうこと...希望を持てないと思う、そう思うということは、絶望というものも、そう思っているということなのです。
だから、そういう思いが絶たれてしまうことが本当の絶望なのではありませんか?
でも、それは希望も無ければ、絶望も無いのかもしれません。
希望を失うと絶望的になり、それが消えると希望がやって来る...自分の思いで良くなったり悪くなったり...こういうシーソー状態から解放されること自体が、もしかしたら本当の望みなのかもしれません。...
それは、決して失うこともなく、絶望に転じることも無いのだから!...我々は本当はそれを望んでいるのではないか?
“絶望の一秒前、漆黒の闇がやって来る!“...そして何もかもが経たれる!...それは気を失ってしまうことなのか?、あるいは死を意味するのだろうか?
だが、その闇の中から微かに光りが感じられる...まだ倒れていない、生きているらしい...
倒れると思ってたら起きていて、死んだと思ったら生きていた!...
もしかして、これまでがちゃんと起きている、生きていると思っていただけなのかもしれない...
自分の思いを超えたものが臨んでいる!
“星は微かに光り、漆黒の闇が来るよ!“...絶望の一秒前の予兆...
絶望的な“震え“もやって来た!
それは、もう、そこからは逃れられないという印!
何故ならば、それは自分の思いを超えたところで望んでいたことなのだから!...
“もう、絶望だ!“と思うことは本当の絶望ではありません!
それは、絶望の一秒前のことなのです!...
例によって書く内容は、その歌詞とは直接関係ないのですが、このフレーズには何だか魂が揺さぶられるのを感じてなりません。
“絶望の一秒前、星は微かに光り、漆黒の闇が来るよ...“
“ああ...もう絶望だ!“...何に絶望するのかはともかく、絶望だと思っているうちは、本当に絶望の状態になっている訳ではないでしょう?
絶望とは望みがすべて絶たれてしまうこと...希望を持てないと思う、そう思うということは、絶望というものも、そう思っているということなのです。
だから、そういう思いが絶たれてしまうことが本当の絶望なのではありませんか?
でも、それは希望も無ければ、絶望も無いのかもしれません。
希望を失うと絶望的になり、それが消えると希望がやって来る...自分の思いで良くなったり悪くなったり...こういうシーソー状態から解放されること自体が、もしかしたら本当の望みなのかもしれません。...
それは、決して失うこともなく、絶望に転じることも無いのだから!...我々は本当はそれを望んでいるのではないか?
“絶望の一秒前、漆黒の闇がやって来る!“...そして何もかもが経たれる!...それは気を失ってしまうことなのか?、あるいは死を意味するのだろうか?
だが、その闇の中から微かに光りが感じられる...まだ倒れていない、生きているらしい...
倒れると思ってたら起きていて、死んだと思ったら生きていた!...
もしかして、これまでがちゃんと起きている、生きていると思っていただけなのかもしれない...
自分の思いを超えたものが臨んでいる!
“星は微かに光り、漆黒の闇が来るよ!“...絶望の一秒前の予兆...
絶望的な“震え“もやって来た!
それは、もう、そこからは逃れられないという印!
何故ならば、それは自分の思いを超えたところで望んでいたことなのだから!...
“もう、絶望だ!“と思うことは本当の絶望ではありません!
それは、絶望の一秒前のことなのです!...