人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

本来の“本来性“

2024-03-05 09:39:20 | スピリチュアル?
こんなことは、いちいち説明するまでもないことなのですが...
私は本来性に帰ることについて書いていますが、それは現実に人間の原始本来の姿に帰るということを言っているのではありませんよ。
例えば、例の反面教師画伯は、“不食“の実践によって、人間は本来食べないでも生きていける、という機能を取り戻せるとか自身のブログで書いていますが、それだったら人間は、原始の狩猟生活に戻らなきゃならないと言っているようなものではありませんか?(第一、飢餓という極限状態をしのぐことが、何で即本来性の回復につながると言うのでしょうか?)
この御仁は、あまりに本来性というものを肉体、物質次元に結び付け、囚われ過ぎているのです。だからもう言っている、やっていることが現実離れしていて、普通人の在り方から倒錯していると言う他ありません。
勿論、そうしたこと自体、身体の鍛錬とかの意味で否定さるべきではないでしょう。(これをやるかどうかは全く持って人の好き好きですが...)
そして彼は、信奉する五井先生の言葉を借りて、“人間は本来神の分霊“などと言及していることから、その“肉体、物質次元を超えたところから出されることと、それに囚われたことが、どうもごっちゃに理解されているようなのです。
要するに、この御仁、意識次元に開かれるということ、人間の本来性とはそこに根差したものであることがまるで分かってないようなのです。だから肉体を自分の力でどうにかしよう、とかこの“見た目“本来性から離れた現実世界をどうにかしよう、ということにずっと囚われ続けているのでしょう。
“人間の本来性を取り戻すことは並大抵ではありません!“、だと、あったりめ~だろ!...現実に出来そうも無いことなど!...精々最後まで努力精進したらいいでしょう。即身仏(生きたままミイラになること)になる日も近いことだろう...
私がここで言っている本来性に帰るということは、何ら無理の無いこと、自然にまかせることがあるだけと言ってもいいのです。
“意識的になる“という。それは誰しも“本来“から自然になされていることです。意識してみたら分かるでしょう?
何度も言うように、それは自分が思い、為すことではないのです。
それを超えて、在らしめよう、なさしめようというハタラキがあり、それにゆだねたらいいと言っているのです。
努力精進しないと回復できないもの、獲得しないとならないもの...それはここで言っている本来性とは何の関係もありません。
このありのままの自分から一時たりとも離れてあるものでは無いのだから...

前回書いたように、私の精神的な歩みの原点は、五井先生の教えにあると言っても過言では無いのです。
だから、普通に先生の本を読んだりして、共鳴して、何であんなヘンな方向にズレてしまうのかが、アタシャ、テンデに理解出来ません!
先生の教えの中心は、祈りと全託の道にあると言っていいでしょう。
私は普通に、自然にそのように導かれたのですが!...
何度思い返してみても、原点という意味合いでも、そこに本来性に帰らざるを得ないものを感じられてなりません。
コメント
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