人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

初心忘るべからず

2024-03-09 09:47:01 | 求道、探究
“初心忘るべからず“、なんて言葉は、社会人なら朝礼なんかで一度は聞かされたことがあるでしょう。
大体、初心者のように真剣に、驕らない気持ちを忘れずに、馴れとかマンネリを克服しようとか、そんなことを言っているのですね。
生業の世界では、知識、技術、経験をつみ重ねることで、その道で向上してゆくということはあるもので、初心者は経験者に及ばないことはどうしてもあります。
しかし、精神的な道ではこれが当てはまらないことも多いものです。
その道で、自分が一番輝いていたのは初心者の頃だった、という人もきっと居ることでしょう?
いや、これは他人事じゃないのでして!...思い返してみると、その道らしいことを歩み始めたのは、約50年前、ある宗教教団に入信していた頃からとも言えるのですが、私の中ではその数年間は全く覚えられていません。
というのもそれは、主体的な関わりを持っていなかったからで、つまり求道心、発心というものが芽生えていなかったということです。
これは何と言っても、五井先生との出会いから始まったのです。教団を辞めて数日後、先生の「愛すること」という本を読んで、思わず涙が溢れて来たことがありました。それから数ヶ月後「白光への道」という本でも、神の愛について書かれているところを読んで又!...それから又数ヶ月後、今度は手島先生の「無垢の愛」という聖書講話を読んで!...本を読んで泣いたという記憶はこの約半年間しかありません。
このように私の初心というのは、発心が芽生えたというよりも、神の愛に触れたことにある、と言っても過言では無いのです。
真理を究めよう、なんていうのは二の次だった!...(なあ、君!、そうだったのだろう!)
私の精神的な道というものは、ただこれを忘れないこと、それを心の底に刻みつけておく、ということに尽きるではないか!
このことが如何に私のすべての人生において重要なことか...例えば、精神的な目覚めとは、神の愛に目の当たりに触れるということを抜きにはあり得ないことなのですよ!
今の私はあの時よりも、知識も素養らしきことも身に付けるようにはなったのでしょう。
その分、狡智に長けるようにも!
そして又、あの時のストレートな感受性は失って、取り戻すべくもありません!
でも、私の奥には、あの時受けたものが今も息づいているのを覚えています。
ビギナーの君よ!...よくぞ神の愛を受け止めて下さった!、私は君の前に跪きたい!
精神的な道では、“俺はこの道何十年もやって来てるんだぞ!“、なんていう私の大、大、ダイッキライな職人気質など通用しません!
“なんだビギナーか!“、なんて鼻であしらうような、教師ヅラしたベテランなどロクな人間でないのは間違いありません!
見よ!、コイツ、何十年も一体何やってんだ!(こうして、すぐ憎まれ口を叩く私、何せ修行が足らんもんで!)
このように、精神的な道は、否すべての人生は初心で決まるということもあるのです。
初心忘るべからず...私にとっての初心とは“初めの愛“に他ならないのです...。


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