人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

神無しにはすべてが空しい

2024-11-28 09:26:52 | 
度々言っていることですが、これは、私が霊性の道において根本的なものとして感じていることです。
その道では、”思いを超えることが重要なんだ”、とシツコク言っている訳ですが...いや、そのこと自体が重要って訳じゃないですよ!...大体、そうなろうたってそうならないじゃないですか?!
その他、欲望を捨てなければならないとか...そうそう悟らなければ、覚醒しなければならない、そのためには呼吸を整える、チャクラを開く、クンダリーニを上げる、霊界の何次元レベルとか幾段階を経なければならない、全託の境地に達しなければならない...
悟り、覚醒、全託...境地に達する?
これ、すべてその思いを超えたもの、神無しには語り得ないし、そうそうことも起こり得ないことじゃないですか?
信仰や修行に熱心に励んでいる人たち、何でこんな根本的なことが分からないのだろうか?
これを欠いてしまえば、信仰のための信仰、修行のための修行に終わるだけ...全くオツカレさんなことではありませんか?
空の境地なら誰でもすぐなれますよ。つまりは、”すべては空しい”ではないか!
”私はここに在る”ことたらしめる、在らしめるものを超えて、一体我々は何を知り、何を為し得るというのでしょうか?...
かくして自我心、思考マインドだけが一人歩きし始める...だから、自我を無くさなければならない!...いやだから、そおじゃないっての!
全託ということを考えてみましょう。といっても我々は、そのことを思い描くことは出来るのでしょうが、これは全然我々が思ったり、為したりするものでないのは言うまでもありません。
これほど、神的なもの無しには起こり得ないことを物語るものはありません!
五井先生は言いました。”神しか無いのです。あとは消えてゆく姿です”
そういう状況(我々が達することじゃない!)になれば、真実にそう言えるでしょう。神無しにはすべてが空しいのです!
悟り、覚醒...そこには言葉に表せない、愛、平安、リアリティがある...だが、神無しにはそれはあり得いし、それは一時の単なるぶっ飛んだ体験というものだけとなり、覚醒剤服用によるトリップ体験と変わりのないものとなるでしょう。そしてそれは、表れたら消えてゆくものです。
人生の頂点に達したように感じるだけに、空しいじゃありませんか?
それに与るために人生はあるのか?...いやそうじゃないだろう!
神無しには、そういう人生も、あなた自身も無いのだから!
だから...”私はここに在る”、”神にあって”
どうしたって我々は神を超えることは出来ない!
”神を超える”、などと宣っている人間は、自分が何を言っているのかまるで分かっていない、狂った人間なのです。それにおツイショウしているだけの人間は、それ以下の金魚のフンだろう!
こんな人間は、生まれて来るのが間違っているのでしょう!
しかし...それもぐるぐる同じところを回り続ける、思い、観念の世界で夢想しているだけのことです。
どうしたって神を超えることは出来ない!
そこに、無限の許しがあるのでしょう。
そうでなければ...すべてが空しい!...


コメント
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