人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

根があって草花もある

2025-01-20 04:56:42 | 雑感
ちょっと前に、“思考に囚われて、あの感じが感じられないので、中々書くことが出来ない...そんな時は無理して書かんでもよい!“、みたいなことをつぶやいたのですが、最初から書く予定の無い時、今みたいに何かすっばらしいものがこみ上げて来て、促される、押されるようなものを感じる時は、“ああ、たまらない、うれしいっ!“っていう感じで書かずにおれなくなるのです!
そんな訳で...

人生の裏側という...表側というのは、現れている、表されている世界...植物にたとえれば、花や草など色鮮やかに色々な在り様で、名もつけられている世界なら、それは隠れている、見えない、名も無き根の世界のようなものでしょう。
根があるから、草や花もある...表のものは朽ちて散る、滅んでしまいます。しかし、根は生き通しである…だから、死してもなお、生命は永遠に生き続けるのでしょうか?
さあ、それは死んでみなきゃ分かりません。
そういうことを人が言っているままに、ただ信じるのでは無く、ここに現れている、一コの自分を超えて、生きてハタライているものを感じるかどうかということが肝心なことでしょう。
この思いを超えてこみ上げて来る、あるいは降り注ぐようなハタラキは、表の世界で、我々がこちょこちょと“方法、テクニック“などと称してやっているものとは比較にならないほど、スケールが大きく、強く根本的なものなのです。
“人間は成長しなければならない!“、などと躍起にならなくとも、それが通りさえすれば自然に草も生え、花も咲くのです。
通りさえすれば!...通っているではないか!
しかし、人間の思いには通っていないらしい...裏側の、根の世界のことは忘れられている...
これが我々の表層によみがえるならば、戦争も止み、夢みたいな狂ったような我々の意識も目覚めることでしょう。
それを促すものは、この裏側からの、根のハタラキしかありません!
見える世界の在り様、形は如何なるものだろうと、根は根である!...普遍的なものというのは、こういうものでしょう。
だから、実在するものは、我々の思い、力を超えた神しか無いのです!
だから、この見える、表側の世界は幻想なのです!...なんて私が本当にそう思って、感じている訳でも無いことを信仰表明のように主張するつもりなどありません!
ただ、この我々の中に息づいて止まないものから浮いて、切り離されたものは夢のように消えてゆくものでしかない、ということは言えるのです。
だが、それはこの現実のように、ずっと息づいているではありませんか?!
表側と裏側は、ずっとつながっているではありませんか?!
見える、表側、外側のことばかりに意識を向けてはなりません。
思い描いた世界だけで、何が真実で、何がウソ、幻想かとやっていたってしょうがありません。
その世界しかないということが、そもそも幻想なのではありませんか?
そのことは、“私はここに私を超えたものとつながって在る“、という事実、現実に目覚めることで明らかになるでしょう!
それは、根っこを通じて、すべての我々につながるものでしょう!
あなたの内にも、その息づいて止まないものが顕わになる、春の到来が感じられないでしょうか?...


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