人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

スピ界は無駄だらけ!

2023-01-16 10:06:57 | スピリチュアル?
度々書いているように、私は常々スピリチュアルなことは、極めて現実的なことであると思っています。
否、多くの人が現実と思っているものは、まんま思われた現実に過ぎないのではないでしょうか?
その諸々の思考マインドで覆われた世界を切り開くものこそは、スピリチュアル、霊なるものではないのか!
然るに、何とスピリチュアルと呼ばれている世界には、空想、妄想、幻想で溢れかえっていることか!
この世界には、その思考の支配する世界に対して、開かれたものと、閉じられたものとがあることを知っておく必要があります。
現状では大多数は後者のイメージで語られているのでしょうが、そのいずれに我々の精神が導かれるかを巡り、そこには天と地ほどの開きがあると言わねばならないでしょう。
だから、同じスピリチュアルという呼称を用いるのは、憚るものを感じてなりません。
後者で取り沙汰されることは、霊界、幽界、アストラル界、エーテル界、過去世、輪廻転生...ほとんどは誰かが言っている通説の受け売り、追従に過ぎません。
追従者、即ち信者の実存的現実からはかけ離れた空想観念ばかりが、大手を振って語られているのです。
何ら実証されてもおらず、自分で確証など持ち得ないことであるにも関わらず、その多くが断定口調で語られる...空想、妄想が事実であるかのように、脳に植え付けられる...自分が妄信するのは勝手でしょうが、始末に負えないことには、対外的に拡散せずにおれない衝動に駆られ、空想世界の住人が後を絶たなくなる...
種々の異界を通らないと、悟りに至らないと通説に追従し、あるいは体中のすべてのチャクラ(霊的なチャクラもあるらしい)を開かなければそうならないと、ヨガ行者(チャクラ云々は、彼らの間に伝わる通説)でもないのに囚われる...(もしかしたら、そういう事実もあるかもしれないが、そういう事例を私は寡聞にしてほとんど聞きません)確証も無いのに、いつたどり着けるかもしれない修行をし続けなければならないとは!...全くご苦労さんなことではないか?!
このような空想、妄想に囚われることは、実に無駄なことばかりではないでしょうか?
現存しないことを思い描き、膨らませ続ける...多いなる無駄と言う他ありません。
回り道、迷い道、”よこさ”の道を歩むために諸々のことが考え出されているようではないか?
それは神ではなく、誰かが言ってる、書いてるだけのことなのです!...神ならぬ思凝りなのです!
精神的覚醒、悟りなどについても空想ごとで語られる始末です。
それはまったく持って、かかる睡眠状態から目を覚ますこと以外の何ものでもないではないのか!
それは、ありのままの自分を受け入れることからしか始まってこないでしょう。
その時こそ、スピリチュアルなことは、実に現実にあることに目覚める...かもしれない?
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