人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

信じようと、信じまいと...

2020-05-19 10:18:37 | スピリチュアル?
非二元論の代表的な教師ラメッシ.バルセカールは、「起こることはすべて神の意志である。行為は起こるが、個々の行為者はいない。人は自由意志をもっていない」と、今ではお馴染みになった教えで、"非二元信仰"の普及に貢献しました。
一寸揶揄するような言い方ですが、人が何をどう信じようと"自由"です。
それが神の意志だろうと、個々の意志だろうと、ただこういう言葉をぽつんと聞かされただけでしたら、信じたい人は信じるだろうし、信じない人は信じないでしょう。
要するに信仰の問題ってことにならないでしょうか?
そして、もし神の意志でか、人の意志でか犯罪に手を染めてしまったなら(誰が?)、これ又何の意志でか、然るべき裁きを受ける(ことが起こる)でしょう。
バカバカしいったらありゃしないですよi...何が本当なのか確かめる術が無ければ、信じなければならないのです。信じようとしちゃうでしょ? そんなもの、短絡的に霊界や予言や前世を信じていることと変わりません。非二元も二元もヘッタクレもなく、人の言葉を信じているだけです。
"神の意志...あなたのみ心をお示し下さい..."こういう言葉を聞き、思い浮かべただけで、私は言い知れぬ胸の高鳴りを覚えます。
神のご意志というものは分かりません。でも、信じようが信じまいが、私の思い、行いを超えた意志、ハタラキのようなものを感じるのは確かなことです。朝、目覚めたら至福感に包まれていたとか...。
こういうことを薄っぺらな信仰ごとで、片付けられてしまったら私はたまりませんi
余命幾ばくもなく、死の恐怖を抱えている人が信仰によって慰められることもあります。これは何を信じるか、というより信仰によって慰め、安心を得るということが重要なことでしょう。信仰が悪いと言っているんじゃありません。
何を、どう信じようと自由なんだから...けれど、浅い観念だけの信仰からは、あの言葉を超えた、驚くべき愛、平安、リアリティとの出会いを求めることは出来ません。それだけのことです。
"あなたのみ心をお示し下さい"、と祈ることから観念ごとから一歩踏み出せるかもしれません。まあ、こういうのも信仰なんでしょうけど...
ラメッシがただの非二元信仰を広めるためだけに、ああいう教えを説いたとは私も思っていません。
確かに私を超えた意志を実感した時、思われた私はいない、という感じを覚えるのですから...
この感じが生活に根差したら、確かに人生はもっとラクなものになるでしょう。
この感じから離れた時、どうでもいいような信仰がはびこるのでしょう...。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 迷っているのなら... | トップ | 大阪人は必ず読むべしi »

コメントを投稿

スピリチュアル?」カテゴリの最新記事