”人間は、自ら思ったり、為したりしているだけのものではない!、それを超えたものと切り離されてあるものではない!”...
と、私は言い表し続けてやまないものを日に日に感じています。
その超えたもののことを神、神的なものと言っている訳ですが、私は長い間、”人間は本来神と一つのものである“、という宗教的な教えの影響を受けていて、それが強い先入観念のようになっていた気来があったのです。
勿論、そのことを否定している訳でもなく、そのように感じているところもあるのですが、この教えは、自分の中に神があるという内在神を強調しているものですね。
しかし、実はそのことをアリヤカに感じた、ということはあまり無くて、近年より強く感じられるようになったのは、その超えたものが“現前している”、ということ...これは現臨していると言ってもいいのですが、これは、だからこそ、“超えている”、というその実感がアリアリと伝わってくるのが感じられるということだと思うのです。
こういう説き方をして、あるいは、それでは自己と神が二元的に分離したままではないか?、と(非二元論者なんかは特に?)感じている向きもあるかもしれませんが、これが実はそうじゃないのです。少なくとも私には!
もし、先の神は自己の中にある、ということが強調され、又それが強く観念されるようになると、”超えられてある”、という感覚が希薄となってしまい、そして、そういうことをただ観念している自分だけが、その神的なものと切り離されて、浮いたようになってしまうのではないでしょうか?
ともすれば、内在神信仰という、その実、実在、実存的な神に結び付かない観念ごとに堕してしまうことになるのではないか?
神と一つになることというのは、それと共にある、そのものとつながる、という”現実感”がもたらすものに他ならないのではあるまいか?
これは、本当には、神は内在しているとか、超越しているとか、一元だとか、二元だとかの概念を超えたことを言っているのです。これは超越論を超えているのです!(これは、ちょっと強引だったか?)
すべては、思われた私を超えたものにあっての現事実である、ことを忘れてはならないのです!
これ実は、私が先の非二元論的に、”神と自己の二元性を超えたものが究極の真理なんだ”、という観念に、そう信じたい我性からひっかかってしまい、私は本来神と一つのものだ、と思おう、思おうとしていたものが、実に神的な現臨にあって、その思いが粉砕されてしまった、という課程で気付かされたことだったのでした!...
と、私は言い表し続けてやまないものを日に日に感じています。
その超えたもののことを神、神的なものと言っている訳ですが、私は長い間、”人間は本来神と一つのものである“、という宗教的な教えの影響を受けていて、それが強い先入観念のようになっていた気来があったのです。
勿論、そのことを否定している訳でもなく、そのように感じているところもあるのですが、この教えは、自分の中に神があるという内在神を強調しているものですね。
しかし、実はそのことをアリヤカに感じた、ということはあまり無くて、近年より強く感じられるようになったのは、その超えたものが“現前している”、ということ...これは現臨していると言ってもいいのですが、これは、だからこそ、“超えている”、というその実感がアリアリと伝わってくるのが感じられるということだと思うのです。
こういう説き方をして、あるいは、それでは自己と神が二元的に分離したままではないか?、と(非二元論者なんかは特に?)感じている向きもあるかもしれませんが、これが実はそうじゃないのです。少なくとも私には!
もし、先の神は自己の中にある、ということが強調され、又それが強く観念されるようになると、”超えられてある”、という感覚が希薄となってしまい、そして、そういうことをただ観念している自分だけが、その神的なものと切り離されて、浮いたようになってしまうのではないでしょうか?
ともすれば、内在神信仰という、その実、実在、実存的な神に結び付かない観念ごとに堕してしまうことになるのではないか?
神と一つになることというのは、それと共にある、そのものとつながる、という”現実感”がもたらすものに他ならないのではあるまいか?
これは、本当には、神は内在しているとか、超越しているとか、一元だとか、二元だとかの概念を超えたことを言っているのです。これは超越論を超えているのです!(これは、ちょっと強引だったか?)
すべては、思われた私を超えたものにあっての現事実である、ことを忘れてはならないのです!
これ実は、私が先の非二元論的に、”神と自己の二元性を超えたものが究極の真理なんだ”、という観念に、そう信じたい我性からひっかかってしまい、私は本来神と一つのものだ、と思おう、思おうとしていたものが、実に神的な現臨にあって、その思いが粉砕されてしまった、という課程で気付かされたことだったのでした!...
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