(つづき)
・さようなら「97番」
3月15日までの運行となった「97番」。
現在のルートは「姪浜駅南口~内浜西区役所前~都橋~下山門~中村~拾六町団地~野方」であり、「都橋」までの区間に行きたい人は「1-4番」「507番」、
「中村」までの区間に行きたい人は「507番」、
「中村」から先に行きたい人は「1-5番」に乗ればよいので、「97番」がなくなったからといって、
ここ「姪浜駅南口」から行けなくなる場所がなくなる訳ではない。
ただ、他の路線の本数が増える訳でもないため、明らかに利便性は低下する。
このように“削れるところは削ってしまおう”というのが、今回のダイヤ改正の特徴のひとつ。
こちらは「97番」が運行を開始した昭和57年当時の時刻表。
そしてこちらはそれから5年後、昭和62年当時の時刻表。
西山行き、四箇田団地行き、姪浜(折り返し場)行き、藤崎行き、一本だけの新道経由、拾六町団地への乗り入れ、旧道から新道への乗せ換え、能古渡船場行き、都心まで足を延ばす「1-1番」、橋本駅行き…などなど、今日までいろんな変化を遂げてきた「97番」。
「90番台」の位置づけが、“「1番」「2番」「3番」の補完的役割”から“区役所連絡路線”に変化する中で登場した路線であり、西鉄バスの営業エリア(当時)の西端にへばりつくように走るのも特徴的で、私の好きな路線の一つだった。
また、「97番」の登場により、それまでは「狭義の終点」であった「羽根戸」「藤ケ丘団地」「下山門」の3つのバス停が一気に「狭義の終点」ではなくなったという意味においては、西鉄バス路線のネットワーク化、そして、福岡市の都市化の進展を象徴する路線でもあった。
その「97番」が、“削れるところは削ってしまおう”というポリシーで廃止というのは、これもまた、時代の流れを象徴する出来事といえるのかもしれない。
復活の可能性もない訳ではないと思うのだが、とりあえず31年間お疲れさまでした。
・小ネタ3
雨粒の向こう側には「愛宕下」。
明治通りの「愛宕下」は、「愛宕神社前」に改称。
でも「前」よりは「下」のほうが、より適切な説明だったような気も。
(つづく)
・さようなら「97番」
3月15日までの運行となった「97番」。
現在のルートは「姪浜駅南口~内浜西区役所前~都橋~下山門~中村~拾六町団地~野方」であり、「都橋」までの区間に行きたい人は「1-4番」「507番」、
「中村」までの区間に行きたい人は「507番」、
「中村」から先に行きたい人は「1-5番」に乗ればよいので、「97番」がなくなったからといって、
ここ「姪浜駅南口」から行けなくなる場所がなくなる訳ではない。
ただ、他の路線の本数が増える訳でもないため、明らかに利便性は低下する。
このように“削れるところは削ってしまおう”というのが、今回のダイヤ改正の特徴のひとつ。
こちらは「97番」が運行を開始した昭和57年当時の時刻表。
そしてこちらはそれから5年後、昭和62年当時の時刻表。
西山行き、四箇田団地行き、姪浜(折り返し場)行き、藤崎行き、一本だけの新道経由、拾六町団地への乗り入れ、旧道から新道への乗せ換え、能古渡船場行き、都心まで足を延ばす「1-1番」、橋本駅行き…などなど、今日までいろんな変化を遂げてきた「97番」。
「90番台」の位置づけが、“「1番」「2番」「3番」の補完的役割”から“区役所連絡路線”に変化する中で登場した路線であり、西鉄バスの営業エリア(当時)の西端にへばりつくように走るのも特徴的で、私の好きな路線の一つだった。
また、「97番」の登場により、それまでは「狭義の終点」であった「羽根戸」「藤ケ丘団地」「下山門」の3つのバス停が一気に「狭義の終点」ではなくなったという意味においては、西鉄バス路線のネットワーク化、そして、福岡市の都市化の進展を象徴する路線でもあった。
その「97番」が、“削れるところは削ってしまおう”というポリシーで廃止というのは、これもまた、時代の流れを象徴する出来事といえるのかもしれない。
復活の可能性もない訳ではないと思うのだが、とりあえず31年間お疲れさまでした。
・小ネタ3
雨粒の向こう側には「愛宕下」。
明治通りの「愛宕下」は、「愛宕神社前」に改称。
でも「前」よりは「下」のほうが、より適切な説明だったような気も。
(つづく)