おかげさまで、「INSIDE SORAMAME」は本日で9周年を迎え、ついに10年目に突入である。
「愛をください」「シューテングスター」「近い遺産」など、バスに関するシリーズものの記事を軸として、ダイヤ改正の時期には関連記事を集中的に…という日常の流れがほぼ固まっているが、読む側にとっては、ダイヤ改正がメインでその他がおまけ…という感じかもしれません。
シリーズものの記事の中には、番号が100を超えるものもちらほら表れてきており、我ながら、ここまでよく続いたなという感慨もあったりする。
シリーズものの記事についていえば、ダイヤ改正関連を除いては「同じシリーズを2回続けない(もし続けるときは3回以上続ける)」「連続する記事間では、できるだけ地理的に離れた場所を取り上げる」というルールを自分の中で勝手に適用している(ただし、例外も多く、あくまで“できるだけ”ですが)。
“「キリン」「鶴」「熊」「馬」…に引き続き…”とか“「colors(3)」で取り上げた一色目の「青」、「couleurs(17)」で取り上げた二色目の「青」に引き続き…”のように、記事によっては冒頭の言い回しが非常にくどくなっていることは十分自覚しているのだが、あまりお気になさらぬよう(冒頭の言い回しは、往年の上岡龍太郎氏が司会の各テレビ番組冒頭の“前口上”をイメージしております…って、こんな情報、誰の得にもなりませんが)。
また、シリーズものの記事冒頭の(つづき)と、末尾の(つづく)の文字は、初期の頃の慣習が惰性で続いているだけで、特に意味や必要性はないので、これもあまりお気になさらぬよう。
ブログを始めた頃は「画像を載せる」ということに特にこだわりがなく、画像なしの記事も多かった。
そして、2011年3月頃時点においても、“一つの記事に画像は一つ”というスタイルだったのだが、その後、現在に至るまで“一つの記事に複数の画像を用いる”スタイルに変わっている。
早くから写真をもっと撮ってもっと載せておけば、「資料」としての価値も高かったのになぁ…と、今になって後悔している。
記事中に貼り巡らせたリンクをたどって過去記事を読み返していくと、全く忘れている事実も最近は結構あり、「記憶から消えてしまいそうな事象を記憶が消える前に書き残す」という、私にとってのブログの本来の目的はそれなりに達成できている感じがしている。
過去の積み重ねの一つひとつが新たな記事の「素材」になっており、その意味では“続けることの大切さ”は体感している。
ただ、「これからもずっとブログを続けていきたい!」という強い意志を持って日々過ごしているわけでもないので、今後、どうなっていくかは私にもわかりません。
ひとまず、今後ともどうぞよろしくお願い致します。
10年目ということで、福岡県春日市の「上白水十丁目」バス停。
かつては「中白水」という名称だった。
以前の記事で、
“北海道などでは特に珍しいことではないのかもしれないが、福岡県で「丁目」が二桁に達するケースはあまりないと思う。
他に思い浮かぶ例としては水巻町の猪熊、那珂川町の片縄、春日市の上白水や紅葉ヶ丘東くらいだろうか(ちゃんと調べたら他にもあるかもしれません。なお、大野城市の南ケ丘も、かつては「丁目」が二桁に達していた)”
と書いたように、十丁目というのは福岡では比較的珍しいケース。
南西行き乗り場。
「42番」「49番」が停車し、全て2つ先の博多南駅が終点。
この交差点を斜めに右折してすぐのところにバス停はあるのだが、かつての「46番」は交差点を直進していた(そのまま線を延ばすと、「下中原」の記事で取り上げた「中原4丁目」交差点の階段へとつながる)。
北東行き乗り場。
「42番」は昇町、井尻経由で、「49番」は弥永団地、新幹線通り経由で、いずれも西鉄大橋駅方面へ。
「愛をください」「シューテングスター」「近い遺産」など、バスに関するシリーズものの記事を軸として、ダイヤ改正の時期には関連記事を集中的に…という日常の流れがほぼ固まっているが、読む側にとっては、ダイヤ改正がメインでその他がおまけ…という感じかもしれません。
シリーズものの記事の中には、番号が100を超えるものもちらほら表れてきており、我ながら、ここまでよく続いたなという感慨もあったりする。
シリーズものの記事についていえば、ダイヤ改正関連を除いては「同じシリーズを2回続けない(もし続けるときは3回以上続ける)」「連続する記事間では、できるだけ地理的に離れた場所を取り上げる」というルールを自分の中で勝手に適用している(ただし、例外も多く、あくまで“できるだけ”ですが)。
“「キリン」「鶴」「熊」「馬」…に引き続き…”とか“「colors(3)」で取り上げた一色目の「青」、「couleurs(17)」で取り上げた二色目の「青」に引き続き…”のように、記事によっては冒頭の言い回しが非常にくどくなっていることは十分自覚しているのだが、あまりお気になさらぬよう(冒頭の言い回しは、往年の上岡龍太郎氏が司会の各テレビ番組冒頭の“前口上”をイメージしております…って、こんな情報、誰の得にもなりませんが)。
また、シリーズものの記事冒頭の(つづき)と、末尾の(つづく)の文字は、初期の頃の慣習が惰性で続いているだけで、特に意味や必要性はないので、これもあまりお気になさらぬよう。
ブログを始めた頃は「画像を載せる」ということに特にこだわりがなく、画像なしの記事も多かった。
そして、2011年3月頃時点においても、“一つの記事に画像は一つ”というスタイルだったのだが、その後、現在に至るまで“一つの記事に複数の画像を用いる”スタイルに変わっている。
早くから写真をもっと撮ってもっと載せておけば、「資料」としての価値も高かったのになぁ…と、今になって後悔している。
記事中に貼り巡らせたリンクをたどって過去記事を読み返していくと、全く忘れている事実も最近は結構あり、「記憶から消えてしまいそうな事象を記憶が消える前に書き残す」という、私にとってのブログの本来の目的はそれなりに達成できている感じがしている。
過去の積み重ねの一つひとつが新たな記事の「素材」になっており、その意味では“続けることの大切さ”は体感している。
ただ、「これからもずっとブログを続けていきたい!」という強い意志を持って日々過ごしているわけでもないので、今後、どうなっていくかは私にもわかりません。
ひとまず、今後ともどうぞよろしくお願い致します。
10年目ということで、福岡県春日市の「上白水十丁目」バス停。
かつては「中白水」という名称だった。
以前の記事で、
“北海道などでは特に珍しいことではないのかもしれないが、福岡県で「丁目」が二桁に達するケースはあまりないと思う。
他に思い浮かぶ例としては水巻町の猪熊、那珂川町の片縄、春日市の上白水や紅葉ヶ丘東くらいだろうか(ちゃんと調べたら他にもあるかもしれません。なお、大野城市の南ケ丘も、かつては「丁目」が二桁に達していた)”
と書いたように、十丁目というのは福岡では比較的珍しいケース。
南西行き乗り場。
「42番」「49番」が停車し、全て2つ先の博多南駅が終点。
この交差点を斜めに右折してすぐのところにバス停はあるのだが、かつての「46番」は交差点を直進していた(そのまま線を延ばすと、「下中原」の記事で取り上げた「中原4丁目」交差点の階段へとつながる)。
北東行き乗り場。
「42番」は昇町、井尻経由で、「49番」は弥永団地、新幹線通り経由で、いずれも西鉄大橋駅方面へ。