2012年の3月11日である。
昨年の地震後のある時期、私も東北地方へ行く機会があった。
具体的にどこに行ったということを細かくこのブログに書くことはできないし、また、書きたいという気持ちもないのだが、その途上で、仙台空港周辺をはじめ、南三陸町、気仙沼市など、被災地の「街がなくなる」という状況を目の当たりにして、何度も言葉を失った。
それまで書いていた「失われた風景」というタイトルの記事は、その日以降書けなくなった。
「東日本大震災から一年」というタイトルを付けたが、それは適切ではないのかもしれない。
たしかに、地震や津波が起こった日から一年は経過したものの、「震災」はまだまだ続いていると思う。
こうやって、福岡の街のことを書き続けられている日常が実は貴重なものであるということをもう一度しっかりと認識したいと思う。
昨年の地震後のある時期、私も東北地方へ行く機会があった。
具体的にどこに行ったということを細かくこのブログに書くことはできないし、また、書きたいという気持ちもないのだが、その途上で、仙台空港周辺をはじめ、南三陸町、気仙沼市など、被災地の「街がなくなる」という状況を目の当たりにして、何度も言葉を失った。
それまで書いていた「失われた風景」というタイトルの記事は、その日以降書けなくなった。
「東日本大震災から一年」というタイトルを付けたが、それは適切ではないのかもしれない。
たしかに、地震や津波が起こった日から一年は経過したものの、「震災」はまだまだ続いていると思う。
こうやって、福岡の街のことを書き続けられている日常が実は貴重なものであるということをもう一度しっかりと認識したいと思う。
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