記念競輪は中部地区で連戦となり,今日は大垣記念の決勝。並びは木暮-平原-神山の関東,竹内ー深谷-山田の中部で岩本と松岡と浜田は単騎。
スタートを取ったのは平原。木暮を迎え入れると外を浜田が上昇。しかし木暮が許さず,木暮の前受けに。4番手は松岡,岩本が続いて6番手に竹内。下げた浜田が最後尾で周回。残り3周のバックから浜田が動いていき,ホームでは木暮の前に。ここから竹内が一気に発進。浜田は飛びつけなかったものの木暮がインから上昇していき,打鐘では竹内の番手を奪いました。ただ,平原は続けなかったので3番手には深谷。ホームに入ると外から平原が追い上げていき,うまく木暮の後ろに。後方になった松岡がバックから発進。一旦は先頭に出たものの,内から自力に転じた平原が抜き返し,先頭で直線に。そのまま粘った平原が優勝。マークの神山が1車輪差で2着に続いて関東のワンツー。このラインに続いた岩本が1車身差で3着。
優勝した埼玉の平原康多選手は7月の小松島記念以来となる記念競輪10勝目。大垣記念は初優勝。竹内が先行するであろうことは予想されたレース。この並びで木暮がどういうレースをするのかがいまひとつ分からなかったのですが,斬り込みになりました。それにはついていかれなかったものの,結果的に木暮が深谷をどかしたのは大きく,狙いとは違っていたかもしれませんが関東の結束がもたらした優勝とはいえるでしょう。松岡に捲られてからまた抜き返すというのは簡単な芸当でもなく,しっかりと脚を残すレースができていたということの証明であるような気がします。
妹が旅行から帰った翌日,9月14日の土曜日には,妹が中学校卒業後に通っていた養護学校の同窓会がありました。これは横浜,僕が横浜というのは横浜駅周辺のことですが,横浜で行われまして,昼食とカラオケでした。もちろん妹がひとりで行くということは不可能ですから,母が同行しています。これは妹だけに特殊の事情ではありません。つまりこの同窓会は,同窓生と保護者が一緒になって開催されるものです。
同窓会自体はこれまでも毎年ありました。ただ,母と妹がそれに参加するのは久しぶりのことでした。というのも,この同窓会というのは,これまでは三浦に1泊の旅行に行くというのが通例となっていたからです。これですと同行するのが大変ですから,とくに母が小脳出血を発症して以降は,参加するのを控えるようになりました。
この9月14日というのは,妹の誕生日です。妹は僕よりも6歳下で,この日で37歳になりました。当然ながら同窓生というのはすべて同じ年齢です。ということは,保護者も高齢化してきているわけで,母と同じような理由によって,ここ最近は参加者が減少傾向にあったようです。今年は旅行ではなく,昼食会とレクリエーションで済ませることになったのには,なるべく多くの同窓生に参加してもらいたいという配慮があったからだと思われます。ですからたぶん来年以降も,同じような形式での同窓会となり,妹にも参加しやすい状況が継続していくものと思います。ふたりが帰宅したのは午後4時頃でした。
翌週の週末ですが,21日の土曜日はピアノのレッスン。そして22日の日曜日はガイドヘルパーを利用してのカラオケでした。そしてこの22日には,母がお寺に行っています。これは彼岸ですので,塔婆をもらうため。ところがどうも手違いがあったようで,塔婆が作られていなかったとのこと。ないものは仕方がありません。この日の入手は断念しました。
翌23日は月曜ですが,秋分の日で祝日です。母と妹は叔父の運転で,母方の墓である大和の方へ墓参りに行きました。僕はこの日は川崎に行かなければなりませんでしたので,これに同行することができませんでした。
スタートを取ったのは平原。木暮を迎え入れると外を浜田が上昇。しかし木暮が許さず,木暮の前受けに。4番手は松岡,岩本が続いて6番手に竹内。下げた浜田が最後尾で周回。残り3周のバックから浜田が動いていき,ホームでは木暮の前に。ここから竹内が一気に発進。浜田は飛びつけなかったものの木暮がインから上昇していき,打鐘では竹内の番手を奪いました。ただ,平原は続けなかったので3番手には深谷。ホームに入ると外から平原が追い上げていき,うまく木暮の後ろに。後方になった松岡がバックから発進。一旦は先頭に出たものの,内から自力に転じた平原が抜き返し,先頭で直線に。そのまま粘った平原が優勝。マークの神山が1車輪差で2着に続いて関東のワンツー。このラインに続いた岩本が1車身差で3着。
優勝した埼玉の平原康多選手は7月の小松島記念以来となる記念競輪10勝目。大垣記念は初優勝。竹内が先行するであろうことは予想されたレース。この並びで木暮がどういうレースをするのかがいまひとつ分からなかったのですが,斬り込みになりました。それにはついていかれなかったものの,結果的に木暮が深谷をどかしたのは大きく,狙いとは違っていたかもしれませんが関東の結束がもたらした優勝とはいえるでしょう。松岡に捲られてからまた抜き返すというのは簡単な芸当でもなく,しっかりと脚を残すレースができていたということの証明であるような気がします。
妹が旅行から帰った翌日,9月14日の土曜日には,妹が中学校卒業後に通っていた養護学校の同窓会がありました。これは横浜,僕が横浜というのは横浜駅周辺のことですが,横浜で行われまして,昼食とカラオケでした。もちろん妹がひとりで行くということは不可能ですから,母が同行しています。これは妹だけに特殊の事情ではありません。つまりこの同窓会は,同窓生と保護者が一緒になって開催されるものです。
同窓会自体はこれまでも毎年ありました。ただ,母と妹がそれに参加するのは久しぶりのことでした。というのも,この同窓会というのは,これまでは三浦に1泊の旅行に行くというのが通例となっていたからです。これですと同行するのが大変ですから,とくに母が小脳出血を発症して以降は,参加するのを控えるようになりました。
この9月14日というのは,妹の誕生日です。妹は僕よりも6歳下で,この日で37歳になりました。当然ながら同窓生というのはすべて同じ年齢です。ということは,保護者も高齢化してきているわけで,母と同じような理由によって,ここ最近は参加者が減少傾向にあったようです。今年は旅行ではなく,昼食会とレクリエーションで済ませることになったのには,なるべく多くの同窓生に参加してもらいたいという配慮があったからだと思われます。ですからたぶん来年以降も,同じような形式での同窓会となり,妹にも参加しやすい状況が継続していくものと思います。ふたりが帰宅したのは午後4時頃でした。
翌週の週末ですが,21日の土曜日はピアノのレッスン。そして22日の日曜日はガイドヘルパーを利用してのカラオケでした。そしてこの22日には,母がお寺に行っています。これは彼岸ですので,塔婆をもらうため。ところがどうも手違いがあったようで,塔婆が作られていなかったとのこと。ないものは仕方がありません。この日の入手は断念しました。
翌23日は月曜ですが,秋分の日で祝日です。母と妹は叔父の運転で,母方の墓である大和の方へ墓参りに行きました。僕はこの日は川崎に行かなければなりませんでしたので,これに同行することができませんでした。