先月の天皇賞(秋)はジャスタウェイが圧勝しました。この馬の父,ハーツクライにとっては,これが産駒の初の大レース優勝でした。
母は1995年に新潟大賞典と新潟記念を勝ったアイリッシュダンス。姪には昨年のフラワーカップを勝ったオメガハートランドがいます。そしてはとこには2002年のJRA賞最優秀4歳以上牝馬のダイヤモンドビコー。
競走馬としてのデビューは2004年の1月で新馬戦を優勝。いきなりきさらぎ賞にチャレンジしてこれは3着。次の若葉ステークスで2勝目をあげ,権利を得たので皐月賞に。しかしここはダイワメジャーの14着と大敗を喫しました。5月に京都新聞杯でスズカマンボを2着に降して優勝。賞金を加算して出走したダービーは,展開の利もありましたがよく追い込んでキングカメハメハの2着と健闘しました。
秋は神戸新聞杯で復帰。キングカメハメハの3着となり,相手関係からも押し出される形で菊花賞は1番人気に。しかし距離が長かったためでしょう,7着でした。ジャパンカップ,有馬記念にも出走しましたが,共にゼンノロブロイから1秒以上離されての大敗。結果的にいえばまだ本格化する前で,素質だけで走っていた時代であったのだろうと思います。
翌春は大阪杯2着をステップに天皇賞に出走もスズカマンボの5着。次の宝塚記念の2着でこのシーズンのキャンペーンは終了。
秋は天皇賞からでこれは6着。しかしジャパンカップで2着になると,有馬記念ではそれまでとは一転した先行策に出てディープインパクトに初黒星をつけ,ついに大レース制覇を達成しました。JRA賞でも最優秀4歳以上牡馬に。
翌年の緒戦となったのがドバイシーマクラシック。今度は逃げるという思い切ったレースをして圧勝。ワールドクラスの力があることが証明されました。イギリスにわたってキングジョージにチャレンジすると,直線では一旦は先頭という大きな見せ場を作ったものの差し返される形で3着。ジャパンカップでディープインパクトの10着と,人気を裏切ると,喉鳴りの症状が出たこともありそれで引退。種牡馬となりました。
ディープインパクトと同時デビューになってしまっため,種牡馬としてはやや不運であったと思います。これまでに重賞を勝った産駒はジャスタウェイを含めて9頭。すべて芝での結果で,明らかに芝向きという産駒成績。ローレル賞を勝ったクライリングがダートでどれだけやれるかは,今後のこの馬の種牡馬生活にとっても,注目の的であると思います。
翌日はまたピアノのレッスンが組まれていました。10月の最初に予定されていたレッスンが休止になったのは止むを得ない事情によるものでした。現状は月に2回のレッスンになっていますので,今月は1度だけで仕方がないと思っていたのですが,先生の方で都合をつけ,この26日にも行うということになったもの。月謝は定額で支払っていますから,先生の方でも,月に2回は確保したいという思いがあるのかもしれません。土曜日だったのですが,僕は長者町に出ていまして,帰宅したのは午後5時半過ぎ。ただこの日のレッスンは午後4時半に開始でしたので,僕が戻ったときにもまだ先生はいらっしゃって,妹とおやつを食べていました。
27日はガイドヘルパーにカラオケに連れていってもらいました。なお,僕はこのカラオケに関しては本牧でと書いてきましたが,実はこのブログでいっているところの本牧とは異なり,根岸駅方面から向うと小港,山手警察署よりも先の,本牧町にあるカラオケボックスだったようです。そちらの方を本牧と認識する人も当然ながら多くいるわけで,妹を担当しているガイドヘルパーはそうした認識であったということでしょう。
翌週の土曜日は今月に入って11月2日。この日は妹が卒業した養護学校でバザー。これまではこの養護学校のバザーというのは勤労感謝の日に開催されていたのですが,今年から変更になりました。というか,後に説明するでしょうが,今年の勤労感謝の日には別のバザーが実施されまして,その関係から養護学校でのバザーが前倒しされたという形になりました。これが来年以降も継続となるのか,あるいは今年に限定されてのことなのかは不明です。というのも今年の勤労感謝の日というのは土曜日で,それが今月の土曜出勤という形式になっていたからです。こうした形式は勤労感謝の日が土曜日と重なる場合にのみ適用することが可能ですから,そうであるならこれは今年限りです。ただ,祝日に出勤して,それを土曜出勤の代替とするということは,制度上のことは僕には分からないですけれども,運用としては明らかに可能ですから,来年以降の継続も可能であるともいえるのです。
母は1995年に新潟大賞典と新潟記念を勝ったアイリッシュダンス。姪には昨年のフラワーカップを勝ったオメガハートランドがいます。そしてはとこには2002年のJRA賞最優秀4歳以上牝馬のダイヤモンドビコー。
競走馬としてのデビューは2004年の1月で新馬戦を優勝。いきなりきさらぎ賞にチャレンジしてこれは3着。次の若葉ステークスで2勝目をあげ,権利を得たので皐月賞に。しかしここはダイワメジャーの14着と大敗を喫しました。5月に京都新聞杯でスズカマンボを2着に降して優勝。賞金を加算して出走したダービーは,展開の利もありましたがよく追い込んでキングカメハメハの2着と健闘しました。
秋は神戸新聞杯で復帰。キングカメハメハの3着となり,相手関係からも押し出される形で菊花賞は1番人気に。しかし距離が長かったためでしょう,7着でした。ジャパンカップ,有馬記念にも出走しましたが,共にゼンノロブロイから1秒以上離されての大敗。結果的にいえばまだ本格化する前で,素質だけで走っていた時代であったのだろうと思います。
翌春は大阪杯2着をステップに天皇賞に出走もスズカマンボの5着。次の宝塚記念の2着でこのシーズンのキャンペーンは終了。
秋は天皇賞からでこれは6着。しかしジャパンカップで2着になると,有馬記念ではそれまでとは一転した先行策に出てディープインパクトに初黒星をつけ,ついに大レース制覇を達成しました。JRA賞でも最優秀4歳以上牡馬に。
翌年の緒戦となったのがドバイシーマクラシック。今度は逃げるという思い切ったレースをして圧勝。ワールドクラスの力があることが証明されました。イギリスにわたってキングジョージにチャレンジすると,直線では一旦は先頭という大きな見せ場を作ったものの差し返される形で3着。ジャパンカップでディープインパクトの10着と,人気を裏切ると,喉鳴りの症状が出たこともありそれで引退。種牡馬となりました。
ディープインパクトと同時デビューになってしまっため,種牡馬としてはやや不運であったと思います。これまでに重賞を勝った産駒はジャスタウェイを含めて9頭。すべて芝での結果で,明らかに芝向きという産駒成績。ローレル賞を勝ったクライリングがダートでどれだけやれるかは,今後のこの馬の種牡馬生活にとっても,注目の的であると思います。
翌日はまたピアノのレッスンが組まれていました。10月の最初に予定されていたレッスンが休止になったのは止むを得ない事情によるものでした。現状は月に2回のレッスンになっていますので,今月は1度だけで仕方がないと思っていたのですが,先生の方で都合をつけ,この26日にも行うということになったもの。月謝は定額で支払っていますから,先生の方でも,月に2回は確保したいという思いがあるのかもしれません。土曜日だったのですが,僕は長者町に出ていまして,帰宅したのは午後5時半過ぎ。ただこの日のレッスンは午後4時半に開始でしたので,僕が戻ったときにもまだ先生はいらっしゃって,妹とおやつを食べていました。
27日はガイドヘルパーにカラオケに連れていってもらいました。なお,僕はこのカラオケに関しては本牧でと書いてきましたが,実はこのブログでいっているところの本牧とは異なり,根岸駅方面から向うと小港,山手警察署よりも先の,本牧町にあるカラオケボックスだったようです。そちらの方を本牧と認識する人も当然ながら多くいるわけで,妹を担当しているガイドヘルパーはそうした認識であったということでしょう。
翌週の土曜日は今月に入って11月2日。この日は妹が卒業した養護学校でバザー。これまではこの養護学校のバザーというのは勤労感謝の日に開催されていたのですが,今年から変更になりました。というか,後に説明するでしょうが,今年の勤労感謝の日には別のバザーが実施されまして,その関係から養護学校でのバザーが前倒しされたという形になりました。これが来年以降も継続となるのか,あるいは今年に限定されてのことなのかは不明です。というのも今年の勤労感謝の日というのは土曜日で,それが今月の土曜出勤という形式になっていたからです。こうした形式は勤労感謝の日が土曜日と重なる場合にのみ適用することが可能ですから,そうであるならこれは今年限りです。ただ,祝日に出勤して,それを土曜出勤の代替とするということは,制度上のことは僕には分からないですけれども,運用としては明らかに可能ですから,来年以降の継続も可能であるともいえるのです。